参議院選挙によせて −その2 2005年の夏「郵政民営化選挙」と「刺客」

2005年の夏は父にとって試練の夏となりました。8月12日、「青票」を投じた父に対して、「刺客候補」が擁立されることになったからです。その結果、父は衆院選挙への出馬断念というとても辛い選択をすることになりました。 以下はその当時、私がパソコンにつけていた記録の一部です。


8月13日。その日の挨拶まわりを終えて夕方事務所に戻ってみると、事務所の雰囲気は一変していた。対立候補が○○地区の支援者宅をまわりはじめたという情報が飛び込んできたからだ。

「こうなったら時間との戦いです。ふみさん、相手の事務所が回る前に、一刻でも早く挨拶に行ってきてください。もう時間は遅いですが、明日まで待っていたら間に合わないかもしれない。人間の心理として、やはり先にお願いに来たほうが強いんですから。」

もう明日の朝まで待っていられないほど、事態は切迫しているのだろうか?緊張で体にピリッと電気が走るようだった。

時間との戦い、と秘書のY氏が言った意味は、挨拶まわりをはじめてすぐにわかった。

「気持ちとしては、熊代先生を応援したいんじゃけんどなあ、まあ、こんなことになって・・・。まあ娘さんも気をおとさんで・・。」 と当惑しきったようにおっしゃる方。 

最後に70代後半と思えるある支持者の方とお会いした。男性は座るなりよく通る声でこう言った。

「今回はおえんですわ。 もう○○さんも今回は民主党に入れる言うてますわ。もう何十年と見てて、こんなひどい選挙ははじめてですわ。」

次々にくりだされる男性の言葉は耳に突き刺さるようだった。それでも、ここで衆議院選挙をあきらめるように説得されて帰るだけじゃ、なんのために来たのかわからない。勇気を振り絞って反論を試みた。

「でも私は選挙カーで岡山をまわったら、どこにいっても本当にたくさんの人が飛び出して手を振って応援して下さるんです。今回は、これまでとは応援がまるで違うし、関心も高いと思います。」

それは本当のことだった。市内でも郊外でも、父に対する応援は、これまでになく熱かった。新聞報道で状況をよく知っている方が増えたからだろうか。

「それでも、絶対に父は勝てないでしょうか?」

私の必死の反論を、男性は大きな手を振ってあっさり封じた。

「あのなあ、娘さん。いくら道に飛び出して応援してくれるゆうても、それが何十人、何百人おりましたいうても、それだけじゃ勝てんのですわ。選挙は何百人の勝負やない。何千でもいかん。何万という票がないと勝てんのですよ。何万人ゆうたら、もう人で道が埋まって選挙カーが動けなくなるような人数のことを言うんですわ。」

その生涯の全てを岡山に住み、50年近く選挙を見てきた人物の言葉には、否定できない重みがあった。黙ってしまうよりほかなかった。

さらに男性が続けた。

「組織がなくて勝つ、ゆうのはつまりそういうことなんですわ。組織がなくても、一般の有権者の応援だけで勝つ、っていうのはね。そこまでの人気を集めないけん、ゆうことですわ。草の根だの、人の気持ちに訴えて勝つ、なんて言うのはたやすいがねえ。」

その方がダメ押しのように、最後におっしゃった言葉が心に重く残った。

「熊代先生はなあ、ご立派すぎるんじゃ、真面目すぎるんじゃよ。政治家にはむかんのと違いますか。 郵政民営化法案がいくらおかしい思うても、まずはご自分の身を第一に考えときゃあよかったんじゃ。とりあえず賛成しとくか、最悪でも棄権しときゃあよかったんじゃ。筋を通すのは立派じゃが、それで民営化反対のレッテルを貼られた上に、組織に応援してもらえんようになったら、これはもうおえんですわ。先生も今度勝っていたら5回生じゃったのになあ。またこれで一回生から育て直しですわ。わしらも残念でならんのですわ。」

外にでてみると、夏の太陽はすっかり沈みきったあとで外は真っ暗だった。夏の虫の声だけが場違いなくらい賑やかだった。秘書の●氏と私は言葉もなく、車にむかって歩きだした。

信じられなかった。

「刺客」の登場からわずか2日の間に、12年間、父と母が血のにじむような努力で築きあげてきたものが音をたてて崩れていくようだった。こんなひどいことが本当にあるんだろうか。これは現実なんだろうか。まるで悪い夢の中を歩いているようだった。

これまで何年もの間、「選挙はえらい(辛い)けど、頑張りましょうなあ。あともう一息ですから。」と、これまでの選挙において、気を盛り立てては支えて下さった支援者の方達の明るい顔が、声がはっきりと思い出された。

それがどうだろう。今日会ったその同じ方達の当惑しきった表情。
どう目をあわせたらいいのかわからないような戸惑った表情。

夜空には星ひとつでていなかった。車までの砂利道を歩きながら、その道のりがとても長く感じられた。まるで暗くて長い、出口のないトンネルを歩いているようだった。

まだ選挙も始まっていないのに、こんなことで泣いてはいけない、と自分を叱咤しながらも、父や母の気持ちを考えると、涙があふれてたまらなかった。

−父は民営化法案に賛成するべきだったんだろうか?
−こんなひどいことになる前に?

知らず知らずのうちに、父がとれたかもしれない、「もうひとつの道」を私は心に思い描いていた。

−もし法案に賛成していたら、せめて棄権していたら、今日そ知らぬ顔をしていた方達も、これまでの選挙と全く同じように、温かく声をかけてくださったのだろうか?

「娘さん、今度の選挙はえらい(大変)ですけど頑張りましょう!私たちには熊代先生しかおらんのですから。」、と。

−そして父は何事もなかったように国会に戻れたのだろうか?
「いやあ、あのとき法案に反対などしなくて本当によかったよ。」と照れくさそうに周囲に話し、内心胸をなでおろしながら−。

いや、違う。それは私の知っている父ではない。

私の知っている父は −その時突然、初めての選挙のときに聞いた父の言葉が、不思議なほどの力強さで、心のうちによみがえってきた。

「仕事っていうのは命がけでやるものなんだ。ちょっと風向きがかわったら、すぐ旗を巻いて逃げるような奴等の、何が政治家だ。」

これが父だった。

父は最初の選挙から少しも変わらない。父には「旗を巻いて逃げる」ことなど出来やしなかったのだ。誰になんと言われようと、父にはあの法案が岡山のために、そして日本のためになるとは思えなかった。青票を投じることが、どれほど自分に不利に働くかはわかっていても、父にはどうやっても自分をごまかすことはできなかったのだ。

たとえこれで政治家のバッジをはずすことになっても、父は法案に反対したことを決して後悔などしないだろう。そしてそんな父だからこそ、小心者の私も、父について懸命に走ることを選んだのだ。ここまできたら勇気を出さなければいけない。そう思うと少し、元気がでてきた。とにかく、もう前に進むしかないのだ。

くましろ昭彦長女

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