刺客を送られた男の「小泉純一郎論」
小泉刺客、正か邪か
第3章 小泉さんは、「首相公選」で選ばれた首相
2001年4月の総裁選挙で小泉さんが地滑り的勝利を勝ち取った翌月の21日付けの私の国会短信第39号は「小泉首相は事実上の首相公選制で選ばれた最初の首相」と書いている。「いや、自民党は面白いことをやってくれたね。このやり方だと、憲法改正しなくても、国民がみんな自民党費を払って投票すれば、自分で総理大臣を選べる。」私の年来の友人が電話をかけて来た。
国民が皆自民党員になる必要はなかった。実際に投票したのは自民党員だが、橋本龍太郎、小泉純一郎、亀井静香、麻生太郎の4人の候補者は度々テレビに出演し、全国民に熱く訴えた。そして世論が動き、その世論を正確に反映して、党員の意見が動いた。こう分析すると小泉首相は事実上の首相公選で選ばれた初めての首相と言っても過言ではない。橋本候補は国会議員の支持では圧倒的に優位であり、党員投票でも橋本派の我々は自信を持っていた。参議院自民党で橋本派は圧倒的多数を誇っている。党員は一般国民とは違う。参議院橋本派の国会議員の説得で党員票でも圧倒的に勝てるだろうと我々は考えていた。しかし、新聞やテレビの記者は、アカプリ新館の橋本派選対本部に常時詰めていた我々に頻繁に違った情報を持ってくる。「我々の調査では橋本さんの勝つ都道府県はほとんどありませんよ。どこで勝つつもりですか。」と言う。そんなことがあるものか。必ず良い結果が出る。そう答え続けた。しかし、蓋を開けて見ると彼らが言ったとおりであった。橋本候補が得票したのは、橋本さんの地元の岡山等数県に過ぎなかった。
■総裁選の改革が首相公選を可能に
実はこの時の選挙制度を決める時に新しい選挙制度導入に積極的に動いたのは我々であった。この総裁選当時の政治改革本部長の大田誠一、事務局長の茂木敏充、そして副本部長の私が実際に案の取りまとめに動いた。小渕恵三総理のご逝去の後、話し合いで誕生した森総理が1年で勇退を余儀なくされた後の後継を選ぶ臨時の総裁選であったが、国民の前でどうどうと本格的な総裁選をやりたい。党員投票もやるべきだ。総裁候補の推薦人も少なくて良い。(5人説が熊代、10人説が茂木、20人説が大田本部長。)等と斬新なアイデアを打ち出し、3人打ち揃って古賀誠幹事長に会い、ぶっつけた。「総裁候補推薦人を5人や10人にすると総裁選をパフォーマンスに使う奴が出てくる。俺の目の黒いうちは絶対にさせない。」と峻拒されたが、30人を20人に切り下げることは出来た。
都道府県代表の票は臨時の総裁選では1票が相場である。しかし、我々の主張に配慮してそれを3倍の3票とすることが認められた。国会議員一人1票、各都道府県代表が47掛ける3で141票で総裁選を実施することになった。3票をどうするかは各都道府県に任せることにしたが、ほとんどの都道府県は党員投票を実施して、総取り方式を採用した。最高点を取った候補者が3票全部貰う方式である。この党員票3倍と総取り方式が小泉さんに地滑り的勝利をもたらしたのである。この制度改革とテレビの時代が「事実上の首相公選」を可能にしたのだ。テレビで、全国民が自民党総裁選を見守り、小泉支持のムードをかもし出した。
大阪の梅田駅の前の公開演説会の風景を思い出す。一回目の総裁選で圧倒的人気があり、勝利した橋本候補は2回目の今回は不思議なほど人気が無かった。小泉さんの人気が圧倒的であった。私はこれは塩川さんの地元の大阪だから塩川さんが動員した群衆だから止むを得ないと言ったが、橋本総理の秘書として官邸入りしていた若く有能な片岡秘書は「そうじゃないんじゃ無いか。おかしい。なにかおかしい。」とつぶやいた。小泉さんも風を感じ取ったらしく、「こりゃあ山が動くぞ。」と演説台の車の上で叫んだ。
党員投票の結果を見て亀井静香候補は国会議員投票が始まる前に総裁選候補を辞退して小泉候補の支持にまわってしまった。そして小泉候補の勝利が確定した。
我々は絶対に負けるはずの無い選挙を「首相公選」的制度で実施し、負けた。無念ではあるが、そのように総裁選挙制度を改革したのは我々であり、結果として小泉内閣は驚異的支持率を獲得した。私は「小泉総理実現はブラインドで打ったアルバトロス」と半分自嘲しながらも、その高い支持率を自民党のため、日本のために喜んだ。派閥間の力学で生まれてくる総理総裁では国民の人気は出ない。党員票の行方が国民の支持率、人気度と同じ方向に動くことが明らかになったのだ。党員票の比重を高くすることこそが高支持率の総裁を生み出す。小泉総裁は奇跡的に総裁選挙に勝つことによって結果としてそのことを我々に明らかに示した。
「自民党をぶっ壊す、日本を変える。」と訴えて、総裁・総理になった小泉総理は、派閥に相談せず、大臣を決めた。派閥順送り人事を廃止したのだ。これは国民の目に新鮮であった。派閥はこれからは名実ともに純粋な政策集団に生まれ変わらざるを得ないとの予感も生じた。小泉総理は、その後の政策の実施も圧力団体とそれに連なる官僚機構、与党の議員をものともせず、進めて行っている。恐るべき実行力といわざるを得ない。自民党と日本が確かに変わりつつあるのだ。
また、小泉首相は、自分の言葉できっぱりと語る。個性豊かに演説し、答弁し、日本に新しい政治家のスタイルを創り出した。このことが変革への期待と相俟って発足当初の小泉内閣への支持率86.3%(共同通信)という過去最高の驚異的数字をもたらした。そのスタイルはその後5年間ずっと貫かれている。
少し気になることもある。それは小泉総理の任命する重要閣僚はすべて二世、三世議員であることである。単なる偶然であるのか、それとも吉田総理が毛並みの良い議員を重用したのに似た偏向なのか。また、小泉総理は派閥解消を本気で進めているが、政権の要所要所は森派で固めている。さらに新人はどんどん森派に入ることにも成り勝ちである。この難しい現象を小泉総理はいかに解決するのか。
(以下次号)
*月刊誌「力の意志」2006年5月号掲載。大幅な加筆や修正があることをお断りします。