経済・保健福祉研究会第60回セミナー講演録

日時:平成18年11月21日(火)18:00〜
場所:ホテルルポール麹町3階「マーブル」

講演:「政局所感」
衆議院議員 平 沼 赳 夫 先生

来賓挨拶:
参議院議員 長 谷 川 憲 正 先生

報告:「新しい日本を作ろう −まこと(誠)と真心の輝く−」 第1部 / 第2部
元内閣府副大臣・前衆議院議員 熊 代 昭 彦

■開会の挨拶
元内閣府副大臣・前衆議院議員 熊代昭彦

(拍手)皆様、こんばんは。お忙しい中をこうしてお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。回数も六十回を数えまして、皆様方の変わらぬお支えのおかげでございます。今日は、平沼先生のご講演もございまして、岡山から駆け付けてくださった方もございます。心から感謝を申し上げる次第でございます。

私のほうは、後ほどご報告させていただくことにいたしまして、平沼先生のプロフィールをご紹介させていただきたいと思います。

今、本当にお忙しい時の人、平沼先生が、今日、わざわざこのセミナーのためにご来駕いただきまして、ご講演をいただけることになりました。心から感謝を申し上げる次第でございます。お手元の袋の中に資料が入ってございますので、もしよろしければごらんになっていただきたいと思います。

昭和十四年八月三日にお生まれになられまして、私も昭和十五年二月でございますから、本来なら同学年だったのですが、私は幼稚園で落第しまして、遅生まれで小学校に行ったものですから、一年先輩でございますが、政治の道では大大先輩でございまして、当選九回を数えていらっしゃいます。最後に表がございます。

もう既に大変有名な方でございますので、あえて詳しいご説明は申し上げませんが、二枚目を見ていただきますと、平成八年から運輸大臣をされまして、そして、平成十二年から通商産業大臣を二期されまして、経済産業省と名前を改めました初代の経済産業大臣を二年務められまして、合計で三年二か月お務めになりました。大変な経済通でもいらっしゃいます。現職としまして、北朝鮮拉致議連の会長、また、日本会議国会議員懇談会会長、日韓議員連盟懇談会の会長をお務めでございます。そのほか、平沼先生のご活躍につきましては、テレビを通じまして、皆様方、十二分にご存知でございますので、これ以上詳しいご説明は省略させていただきます。

それでは早速、平沼先生にお願いいたしたいと思います。平沼先生、どうぞよろしくお願いします。(拍手)

■講演:「政局所感」
衆議院議員 平沼赳夫 先生

(拍手)皆様方、こんばんは。今日は、熊代昭彦先生の六十回目のセミナーに講師としてお招きいただいて、大変光栄に存じている次第であります。

いろいろお話ししようと思ったのですが、たまたまあしたが、自民党の復党に関して、私が十二名の代表という立場をいただいておりますので、自民党の中川幹事長と会談をするということで、なぜ私が無所属になったか、この辺について熊代先生からもお話があったと思うのですが、そこから話に入らせていただきたいと思っています。

郵政民営化法案、小泉さんは、改革の本丸だと位置づけておりました。そして、最後の段階になってきて、これを立派にやり遂げようということで、異常なことが続いたのですが、国会に上程したわけであります。私は、改革には反対する代議士ではありませんが、郵政民営化法案は、三つのことで問題な法案であると確信いたしましたので、確信を持って郵政民営化法案に反対させていただきました。

その第一は、自由民主党は今年五十一年目に入りましたが、当時は五十年。私は、そのうちのちょうど半分の二十五年自民党の代議士をしておりました。その長い歴史の中で、自由民主党は、自由と民主という方式で党運営を行ってきました。それは自民党の代議士はみんな怠けているとお思いがちですけれども、朝八時ぐらいに党本部に行っていただくと、すべての会議室で部会が行われているわけです。これは役所の縦割りで、それぞれ受け手の部会ができています。

今、例えば私が経済産業大臣をしておりましたが、経済産業部会という部会があるわけですし、国土交通省には国土交通部会という部会があります。そこで法案に関してかんかんがくがくたる議論をするわけです。そして、それをずうっと積み上げていって、そこで合意点が見付かると、その部会がその法案に関しては終わる。そうすると、次には政策審議会があって、そこでも議論を沢山して、その政策審議会が通る。そうなると、最後は党の最高意思決定機関、総務会がありまして、これは原則的には多数決が原理なのですが、長い長い知恵で、全党一致という形をとる。こういうことでずうっと運営されてきました。

ですから、例えば日中国交回復のときなどは、当時の青嵐会の先輩方は反対した。特に、航空交渉でいろいろ問題があったのですが、最後の段階では、反対を貫いた人も総務会の席を出ていったしまう。そして、一応全会一致という形でその法案が通り、その法案を今度は閣議で決定して、衆議院に下りていく。場合によっては参議院詮議の場合には参議院に下りていく。こういうことに相なるわけです。

しかし、小泉さんは、このことに関しては大変異常な執念を持っておりまして、そういった党内手続を全く無視してやりました。まず、閣議で決めてしまったわけです。こういうことは異例中の異例です。そして、因果を含めてそれを党の部会に下ろしてきたのです。その因果を含められた部会長は、それを受けて、三十三回一応議論したのですが、熊代先生などもみんな反対した。それで、甲論乙駁があったのですけれども、議論というのは、どちらに優劣をつけるという形ではなかった。しかし、三十三回目のときに、座長をしていた代議士が、もう十分議論したから、ここで私に一任してくださいと言って、ぴょこりと立って頭を下げて部屋から出ていってしまったわけです。そのときは大変騒然となったわけです。というのは、議論が成熟していないときに一任を取り付けたという形に相なった。

次は政策審議会ですが、ここも政調会長が、国会で議論するからいいではないかということで、三十分か四十分でそれを通してしまったわけです。問題は総務会でありまして、今、防衛庁長官をしている人は当時の総務会長としたが、いきなり多数決という形で決をとりました。そのときに、私の仲のいい亀井静香代議士などもいたのですが、「こんな最初から決をとるというのはおかしいじゃないか」と言って騒いでいるうちに、賛成多数という形で強引に通してしまった。その中には、手を挙げる資格のない副会長まで手を挙げていたというのが事実としてありました。そういう形で強引に総務会も通してしまった。

ですから、自由と民主という政党の割りには、大変粗っぽいやり方でこの法案を党を一応通した。閣議で決まっているわけです。そして、更にそれを国会の委員会に下ろしまして、最終の段階では、最初のころは反対の委員もいたのですが、採決の日が近づくにつれて、党は全部差し替えて、全部賛成の議員にして委員会を通すということをしたわけであります。ご承知のように、衆議院で採決になりまして、あのときは五票差で可決になったわけですが、こういう強引なやり方が本当にいいのかなと。長い長い間、先輩がそうやって築いてきた自由民主党のいいところを全部捨て去ってしまって、そういうことがいいのかなと。これが私の疑問の第一点でありまして、こういうやり方はどうも納得がいかない、。だから反対しなければいけない、このように私は思いました。

二つ目は、よく言われているのですが、わかりやすく言うと、「ハゲタカファンド」という名前だと、皆さん方はピンと来ると思うのですが、結局、外資にねらわれている可能性が非常に強いものがありました。例えばもともとは銀行家だったのですが、建築家になろうという希望を持っている人がいまして、彼は、建築のほうにずうっとのめり込んでいろいろ研究した。そうしたら、一九九四年以来、アメリカから毎年年末に膨大な「年次改革要望書」が来ている。それを読んでみると、一九九三年に宮沢・クリントン会談がありまして、そのときにクリントン大統領から、日本はまだ規制緩和も進んでいない。自由化もまだまだだ。貿易の障壁も高い。何とかしろ。翌年から日本に対してあらゆる分野にわたって年次改革要望書を出すからいいな」と。宮沢さんはオーケーしました。ですから、一九九四年から、日本に対して膨大な要望書が来たわけであります。

私は、先ほど熊代先生からのご紹介で、経済閣僚を三年二か月やっていました。経済産業省の大臣室には、アメリカの生の文章が常に届くわけでありまして、私は、これに注意深く目を通していた。年次改革要望書以外に、アメリカの全役所は、我々の役所は今年こういうことをして、このことはここまで進んだ。そして、来年にはこういうことが積み残ったという報告書、彼らは「レポート」と言っていますけれども、国別に作っているのです。日本編、中国編、インド編、ドイツ編というようにあるのです。それがずっと私の手元に来ていましたから見ていましたら、信じられないことですが、その経済産業省の相手先のUSTR(通商代表部)のレポートの中の郵政に関しては、驚くなかれ、十八回日本側の役所と向こうの役所で談合したと書いてあるのです。話合いと言えばそれまでですが、十八回やった。

更に信じられないことには、そのうち六回は、民間の保険会社の社長が向こう側に入ってやったということが書いてある。それを見て、これはねらわれているのではないかという気が私はしました。そのときに私の頭に去来したことは、皆様方もご承知の、長期信用銀行の顛末であります。長銀、長銀と言っています。あのバブルのときに、長銀の経営者も大変不明であったのでしょう。膨大な融資をいたしました。中小、零細企業には貸さなくて、大企業にどんどん貸した。しかし、バブルが崩壊してしまって、それが全部不良債権になった。にっちもさっちもいかないぐらいの不良債権の山がたまりました。そのときに、長銀ほどの銀行をつぶしてしまったら、日本のみならず、世界じゅうに迷惑をかける。だから、これを国有化しようという形になって、国有銀行にしたわけです。

最初、一兆六千億円投じたけれども、これは焼け石に水でした。都合どれだけお金を投じたかというと、八兆円の巨額な国費を投じました。八兆円投ずれば不良債権がきれいになる。もともと長銀という老舗である。いつまでも国有化できないから、これをどこかに売ろうという話になった。主に竹中平蔵氏がやったわけですが、この長期信用銀行というのは、日本の企業には一切目を触れずに、真っ先に白羽の矢を立てたのがリップルウッド社という外資系ファンドに売りました。国費を八兆円投じたものを、幾らで売ったかというと、これは信じられないのですが、たった十億円で売り渡したのです。

リップルウッド社というのはしたたかな会社ですから、更に瑕疵担保条項という条件も付けてきました。瑕疵担保条項というのは、最初みんなわからなかった。しかし、よくよく調べてみると、瑕疵担保条項というのは、この者には瑕疵がある。傷があるということです。ですから、まだ債権が残っていた。それが先行き不良債権になったら、十億円で買う我々リップルウッドは一切責任を負わない。日本政府が面倒見ろよと。これが瑕疵担保条項だった。こういう条件まで付けて、十億円で買ったわけであります。真っ先に白羽の矢を立てたのです。

そして、アメリカの金融機関で働いてきた日本人ですが、八城氏を頭取に据えました。それで、すっかりきれいになりましたから、東京証券取引所に上場したら、たった十億円で買ったものが、第一回の公募で二千八百億円で売れた。世の中に「濡れ手でアワ」の話は山ほどありますが、このような「濡れ手でアワ」の話はどこにもない。そういうことを私は大臣室にいて、そして、アメリカの各政府が、アメリカの国権の最高機関たる議会に提出するレポートを見ていましたから、これはやはりねらわれているなという気がしました。

同時に、郵政民営化に反対して、国会でも議論をしましたが、そういう議論をした人たちも、関岡氏がその「年次改革要望書」のことをずうっと調べていって、そして『拒否できない日本』という本を書いた。そういうものに目を通しながら国会で質問した。ですから、埼玉県から出ている小泉龍司などという、もともと大蔵省出身の代議士は、国会で追及して落選しています。ですから、いわゆる「ハゲタカファンド」的なものにねらわれているのではないかというおそれを私は抱いた。

ですから、八月八日というのは、参議院で十七票差で否決された日であります。そのときに小泉さんは、衆議院では五票差で可決で、参議院で十七票差で否決ですから、本来であれば、憲法の五十九条に基づいて、内閣としてどうしても通したい法案だったらもう一回戻せばいいわけです。それを一切しませんでした。衆議院では五票差で可決。参議院では十七票差で否決。そうしたら彼は、赤いカーテンをバックに、あのころから赤いカーテンをバックに出てくるようになった。それで、ライオンヘアをなびかせて、そして目を据えて、改革というのは、まさにこの郵政民営化が本丸だと彼は言い切った。

あのテレビは、皆さん方もごらんになっていて、覚えておられる方が沢山いらっしゃると思うけれども、何と言ったかというと、ガリレオ・ガリレイに例えたのです。それまでは、地球が固定していて、天が動くという天動説だったのですが、ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えた。そして、その真理のためにガリレオ・ガリレイは命を落としたと言って、小泉さんはテレビで国民に向かって、国民の声をじかに聞きたいと訴えたわけです。しかし、よくよく調べてみると、ガリレオ・ガリレイは、天動説、地動説があることでは命を落としていません。むしろブルーノーという天文学者が死んでいるわけで、ガリレオ・ガリレイは生き長らえているのですが、その辺は小泉さんも詳しくなかったのでしょう。ガリレオ・ガリレイは命を賭けてやった。だから自分は、改革の本丸だから、この郵政民営化に命を賭けてやると。

衆議院で可決して、内閣でどうしても通したかったら、憲法五十九条でもう一回衆議院に戻して、両院協議会を開いて、そこで採決するのだったらまだわかるけれども、いきなり議会制民主主義、代議制を否定して、解散を打ってきたわけです。今、これは告訴している人もいますけれども、憲法上非常に大きな疑義がある問題であることは事実です。そういう形で郵政民営化に対しては、彼は命を賭けてやってきた。だから八月八日、これは日本のマスコミは何も報道しなかったのですが、アメリカのメディアはどういう報道をしたかというと、「日本の国会において郵政民営化法案は否決された」と書いた。ここまでは客観的に正しい記述です。しかし、その後のことを日本の報道機関は一切日本国民の皆さん方に知らせなかった。

アメリカのメディアは、「これによって我々アメリカは三兆ドルを手にするのが先延ばしになった」と書いたのです。当時、郵政事業の郵便貯金と簡易保険を合わせると三百四十五兆円と言われていました。そうすると、当時の為替レートは百十五円ですから、それを三兆倍すると、ちょうど三百四十五兆円になるわけです。「我々アメリカは三兆ドルを手にするのが先延ばしになった」という報道をアメリカの報道機関はしたけれども、日本のマスコミは、そのことは一切国民の皆さん方に知らせなかった。ですから、それが本当かどうかわからないけれども、少なくともアメリカの感覚では、日本の郵便貯金だとか簡易保険の資金をそういう目でねらっていたことは事実だった。私はそういうことに気がついていたから、これは信念を持って反対しなければいけないと思って、反対させていただきました。

三つ目は、郵政民営化法案は、皆さん方お読みになればわかりますが、最終的には経済原則が働くわけであります。もう既に熊代先生も私の岡山でも、十一人で運営されていた郵便局が、局長と局員二人になってしまっています。これは中国産地の山また山の、少子高齢化が進んだところの郵便局が、十一人でやっていたのがたった二人になりました。隣の市に本局が移るという形で、過疎の人たちは大変困ってしまっている。

例えば農協も統廃合が進んでいますから、そういう小さな村に農協もなくなってしまった。唯一のサービスの頼りは郵便局だったのですが、それがたった二人になってしまう。そして、中曽根内閣のときに、国鉄の分割民営化があった。電電公社の分割民営化がありました。あのときは、政府が最終株式会社になっても、ある部分は政府が責任を持って株を保有していたのです。ですから小泉さんが内閣総理大臣になって、そのとき私は通産大臣をしていました。小泉さんは、絶対にこれ以上国債を発行しない。補正予算は組まないと言った。そのときに私は、テレビに出ても、閣僚の記者会見でも、必要なところには必要最小限のお金を付けなければいけない。だから補正予算をゼロというのはおかしいという主張をさせていただきました。

一番初めは小泉さんも自分のメンツがありますから、NTTの株を売却して資金を作ったのです。それだけ政府が株を保有していたということです。今、国鉄などは一〇〇%自社の株という形になってきましたが、公の活動をする交通あるいは通信、郵政事業もそうです、そういうものは一定の比率で国が株を持っていなければいけないのを、今度の郵政民営化法案は、最終的には国は絶対に株を持ってはいけないということになっている。

そうすると、「年次改革要望書」などをずうっと読んでいくと、そういう形でねらわれている。十八回会合をしたうち六回、アメリカの民間の保険会社の経営者が入っていた。こういうことも眉毛につばをつけてよくよく考えなければいけない。そういうこと。

そして三つ目は、経済原則で、そういう形でどんどん、地域があっての日本全体ですけれども、地域のサービスが低下してしまう。こういうことが現実に起こってきている。ですから、この三つの理由で私は郵政民営化法案、実は、二回反対したのは私だけです。十二人私と同じ仲間がおります。しかし、私以外のあとの十一人は、あれだけ選挙で小泉さんの大ばくちが当たって、衆議院で二百九十七議席自民党だけで取った。そうしたら、みんな宗旨替えをして、国民の審判が出たから、自分は郵政民営化法案に賛成すると言って、十一人は全部賛成になりました。ただ私は、今申し上げたような理由で、特別国会に法案が掛かってきたのです。特別国会というのは、総選挙の後召集される国会でありまして、大体三日か四日で終わるのです。それは院の構成と、議席を決めるだけの国会なのです。そこに小泉さんは、ブッシュとの約束があったのかどうか知りませんが、郵政民営化法案をかけてきました。

あらかじめ国会議員のところに法案が来ますから、私はそれを熟読玩味してみたら、全く同じなのです。唯一違うところは、半年ほど先延ばしするということだけで、あとは全く同じですから、私は反対を掲げて、私も刺客を立てられました。女性の刺客が立ちました。しかし、四万票の差をつけて私は何とか勝ちましたけれども、そういう刺客を立てられて、そして、九万九千九百三十一票という大変大きな票をいただいて当選した。選挙中街頭でも、夜の個人演説会でも、今言ったようなことをずうっと私は訴えていた。私が街頭演説で今申し上げたようなことをずうっと言うと、最初はみんな鳩が豆鉄砲を食らうような顔をして聞いていました。しかし今になると、地元に帰ると皆さん方はわかるわけです。

それは『拒否できない日本』とか、これは執筆直後に亡くなってしまったのですが、その関岡氏と吉川という教授と、『国富小人』という本も書きました。そういう本をみんなが読むにつれて、あんたの言っていたことは的外れではなかったねえと。それから、山また山の過疎の村などに、さっき言ったように、十一人の局がたった二人になってしまう。それで、サービスがどんどん低下してしまう。「あんたの言うとおりじゃないか」ということでございまして、内容が同じでありますから、私は二回目も反対いたしました。そういうことで、あしたはなかなか厳しいやりとりになると思いますが、私も筋は通しながら、十二人の無所属議員の代表ですから、しっかりとした交渉はさせていただかなければいけないと思っております。

今日は、あと質問をお受けする時間を十分ぐらい残して、五十分でお話を終えようと思うのですが、皇室典範改正の問題に関して、私はやはり反対を貫いたのです。一昨年の暮れに、皆さん方も朝刊を開いたら、「総理の指摘諮問機関として十名からなる有識者会議が編成された」と書いてある。どういう選び方をしたのかわからない。ただ十名が決まっていた。その中に、内閣官房副長官をしていた人がいますから、私は自分の部屋に来てもらった。それで、小一時間彼と私はじっくり話をしました。どういう話をしたかというと、日本の皇室は百二十五代続いているけれども、男系の万世一系というのはずうっと守ってきたことなのだから、これは大事にすべきだよと。自分の意見としてそういうことを、恐らく司会進行役になるであろうその元官房副長官に私は伝えた。

彼は「承りました」と言って帰っていきましたが、翌年の一月から会議が始まって、十七回やりました。そして、十一月二十四日に最終結論が出たのです。七月に中間の論点整理が出たのですが、あと、どういう話をしたかというのは一切公開されていない。総理大臣の私的諮問機関です。結果は、四つの結論が出ました。

一つは、女帝を認めるということです。二つ目は、女系天皇も認めるということです。三つ目は、長子が相続する。ですから、生まれた子が男の子であれ女の子であれ、先に生まれた子供が天皇陛下になる。長子相続だと。それから、秋篠宮様は四十一歳になられたばかりですが、秋篠宮殿下が生まれてから、皇族には八名のお子様がお生まれになっているのですが、全部女性で、男性が生まれていない。そういう異常な状況だった。したがって、今の親王殿下の女王、例えばひげの三笠宮寛仁親王殿下にも、女王、お嬢様が二人いらっしゃる。そういった方々を将来皇族にするようなことも考えよう。これが四つ目の結論でありました。

私は、これは非常に不満でした。何でも改革、改革という形でやっていいものか。神代の時代からずうっと続いてきているのですが、昔流に数えれば今年は二千六百六十六年目ですが、歴史学者がひもといていくと、二千年ぐらいではないか。しかし、百二十五代、男系で万世一系で続いてきたのが日本の皇室です。世界じゅうどこを探しても、そういう家というものはありません。たしか日本の歴史の中には、八方十代の女性天皇がおられました。なぜ八方十代かというと、そのうちのお二人が二代にわたって天皇をされているのです。

例えば孝謙天皇、称徳天皇という形で、二代にわたってやられている。そして、その女性たちは全部つなぎの役なのです。例えばまだ皇子が若かったとか、そういうときに、天皇陛下の娘さんか、あるいは皇后陛下だった方がそういう形でつなぎの役をしてこられた。ですから、武烈天皇のときなどはものすごく苦労して、日本の場合には種を重んじてきたわけです。ですから、武烈天皇のときには、本当にお子様も、ご兄弟もいない。しかし、そのときに知恵を絞った人がいて、男系の種を持っておられる方が、今で言う福井県若狭の国におられる。その方をお探ししてきて、天皇に据えたという故事もあります。ですから、八名の女帝がおられたことは事実ですが、日本の皇室は、女系になったことはないのです。

また、英国の王室は、今の英国のエリザベス女王の旦那様がギリシアの皇室から来られている。ですから、チューダー王朝だとか、ハノーバー王朝だとかという形で、ずうっと続いてきていなくて、常に変わりますから、一系できていないわけです。

それで、二月一日に憲政記念館で国民の集会を開こうと言って、開きました。そうしたら、日本じゅうから集まってこられて、四百席が全部埋まってしまって、その倍の人がロビーにあふれてしまった。それで、私などは演壇で演説して、またロビーに行って、ロビーでも演説させていただいた。更にこの運動を盛り上げようという形で、三月四日に武道館を借りました。武道館というのは、一万名以上入らないと満員盛況にならないのです。しかし、日本の皇室は非常に摩訶不思議なところがありまして、二月一日に憲政記念館でそういう国民大集会をしました。三月四日と思ったら、六日後の二月七日に秋篠宮紀子妃殿下が第三子をご懐妊という発表になった。これは本当にびっくりしました。

ですから、三月四日はどうしようかということになったのです。一万人以上来ないと様にならない。マスコミの人たちは、大体四、五千名来ればいいだろうと踏んでいました。しかし、私などは、ここまで来たのだから絶対やろうと言って、三月四日に武道館に行って壇上に立ったときに、全身から揺れ動くような感動を覚えました。一階のアリーナ席も満杯、二階、三階まで全部いっぱいで、一万六百人集まったのです。それで大会ができた。

そのときに、ユダヤ人ですが、ヘブライ大学のシロニー教授がメッセージを寄せてくれました。各界各層からいろいろなメッセージがあったのですが、その人のメッセージは非常に説得力があると私は思ったのです。

どういうメッセージかというと、日本人は、日本の皇室の尊さ、ずうっと男系で万世一系で続いてきた、その尊さを理解していない。世界じゅうどこを探しても、こういう家は日本の天皇家しかないのだ。これを守ることが日本人の大切な務めではないか。そして、確かに男女同権の原則から言うと、これは男女同権の原則に反する。しかし、男女同権の原則に反してもいいことが、世の中では三つある。その一つは、そのものが文化に根付くものだ。長い長い文化の伝承の中でずうっと生き続けてきたものだ。二つ目は、それは伝統に基づくものであること。三つ目は、神聖にして冒すことのできない神聖さがあること。

世界に十億人近いカトリック教徒がいる。ローマの中のバチカンにローマ教皇があって、ローマ法王という方がおられます。十億近いカトリック信者は、だれ一人ローマ教皇が女性でなければだめだなどと言う人はいない。それは文化であり、伝統であり、更には冒し難い神聖なものだからだ。自分はユダヤ人だ。ユダヤの教えを伝える神父ラビ、これも全部男から男につながっていくわけです。ですから、全世界にいるユダヤ教徒のラビが、女であるべきだということはだれも思っていない。それよりも何よりも、人の皇室がそれだけ長い年月百二十五代ずうっと続いてきた。そのことを日本人はもっと大事にしなければいけない。こういうメッセージをシロニー教授は出してくれて、このことは説得力があるなと思いました。

したがって、本当に幸いなことですけれども、紀子妃殿下には、悠仁親王殿下が生まれられた。ですから、今から言うと、百二十八代までは担保されているわけです。百二十六代目が今の皇太子様、百二十七代目は秋篠宮様、そして今度のヒサヒト親王殿下。しかし、これはまだ根本的な問題の解決になっていない。これから知恵を出して、我々の先祖がずうっといろいろな知恵を出して、時には絶えそうになった日本の皇室を大切にしていくという価値観、これは改革感覚でとらえてはいけないことだとことだと僕は思っています。

熊代先生も私も岡山ですが、和気町というのがあって、その和気町には、和気神社というのがある。その和気神社は、和気清麻呂公をお祭りしているのです。和気清麻呂というのは、先ほど言った称徳・孝謙天皇のときに、称徳天皇、孝謙天皇は同一人物ですが、大変仏教に帰依された。仏教に帰依されたときに、大阪の河内出身の怪僧が出てきて、女帝に取り入って法王、太政大臣にまで上り詰めるわけです。そうすると、人間はだんだんよこしまな心を持つことになりまして、自分が天皇になろうと思うわけです。称徳天皇も半ばそれをお許しになった。しかし、昔のことですから、大分県に宇佐八幡という神社があります。これは神功皇后とのゆかりの神社ですが、その宇佐八幡に必ず国家の重大事のときには、昔の言葉では「うけひ(祝謂:うけい?)」と申しますが、ご神託を仰ぎに行くわけです。そのときに、神託を得てこいと命令されたのが和気清麻呂だった。弓削道鏡は絶頂期にありましたから、和気清麻呂に、いいご神託を持って帰ってきたら、おまえは太政大臣、今で言う内閣総理大臣にしてやるぞと、こういうことまで言われた。そして、宇佐八幡宮でお隠りをして、受け火をして、ご神託をもらった。そして、都に帰ってきて、和気清麻呂が何と復命したかというと、自分は宇佐八幡で「うけひ(祝謂:うけい?)」をした。そのときに、皇統は後胤に限る。いわゆる皇室の種に限るというご神託が出た。だから、あなたは天皇になる資格はないと言い切ったのです。彼は命を賭けてやったと思うのです。

そこで、天皇にも、弓削道鏡にも大変排斥を受けまして、当時、本当に日本の外れの大隅半島に島流しに遭うわけです。一年猶予和気清麻呂はそこに行っていました。

しかし、日本というのは不思議ですよ。私は五月に行ってきました。その大隅半島、今霧島市(鹿児島市?)ですけれども、そこにもちゃんと和気神社という神社が建っている。一年猶予いたのですが、神社が残っているのですね。ですから、そういういろいろな歴史がありましたが、我々日本民族は、男系の万世一系を守ってきたはずです。ですから、有識者会議は、冒頭申し上げたように、だれが人選をしたかわからない。座長をしている吉川氏は、立派なロボット工学者ですが、これは皇室の歴史だとか法律には全く暗い人です。この人が座長をしたのです。副座長は、園部氏という最高裁の判事でした。あとは八人いたわけです。園部氏は、「皇室法概論」を書いていて、一応専門家ですけれども、しかし、よくよく履歴を調べてみると、あの教科書裁判の家長裁判のときに、家長側に立った判事です。そういう人が副座長になってしまっている。

もっと言わせていただくと、座長の吉川氏はロボット工学者で、第一人者ですが、昭和二十七年から三十一年まで東京大学に在籍していたときには、民青に所属していた。こういうことが明らかになってきた。そういう人が総理大臣の私的諮問機関で選ばれたという不思議さがあります。ですから、こういったことは本当によく考えないといけない。日本を共和国にしようと思っている有名な学者があまた出ていますが、その中の一人などは何と言っているかというと、日本の天皇家をつぶす一番いい方法は、男系の万世一系をつぶすことが最善だと言っているのです。彼らはそこまで見ている。だから、社民党も、共産党も、みんなあれに賛成したのですね。しかし、辛うじて日本の皇室の底力というのでしょうか、本当に悠仁親王殿下が生まれられた。まだ当分二十年、三十年、じっくり時間を掛けて我々は方法論を講ずることができる。

こういったことにも私は力を入れてやってこさせていただいたわけでありまして、その他、人権擁護法案とか、いろいろやっておりますが、今日は一時間ほど話をしろと。あとの十分は、皆様方からの質問をお受けしろと。熊代先生とは同じ岡山で一緒に選挙を戦った仲でありまして、年も、幼稚園のときに落第をされたということで、(笑)私のほうが一年先輩ですけれども、大体同年代で仲良くさせていただいているわけです。彼もこれからますます飛躍されると思いますし、私も、そういう同志として、いろいろな面で熊代先生のお力になれることがあれば、一生懸命頑張っていきたいなと、そんなことは思わせていただいております。

今日は、雑駁な話でございましたが、なぜ郵政民営化に反対したのか、それから皇室典範改正の問題について話をさせていただいた次第であります。皆様方、本当にご清聴ありがとうございました。(拍手)

司会 ありがとうございました。ご講演をいただき、お休みもなしに誠に申し訳ありませんが、早速質疑に移らせていただきたいと思います。先ほどの郵政、皇室のお話等々、何でも結構でございます。せっかくの機会でございますので、もしお伺いしたいことがあれば、マイクを差し上げます。

手を挙げていただけますか。明日からはまたいろいろ折衝されるということもありますので、皆様、お聞きになることがあれば、どうぞ。何かにたにたされていらっしゃるシラスさん、いかがですか。何かありますか。

シラス こんばんは。骨髄バンクのボランティアをしておりますシラスと申します。ただいまのお話を伺いまして、平沼先生の信念というか、そういった強いものを感じました。

それで、済みません、今のお話と直接関係はございませんが、そういったご信念を貫かれているという、その底にある先生の強いものは一体どういったものなのか、ぜひお伺いしたいと思いますし、学ばせていただきたいと思います。

平沼講師 私は、選挙に出るまで大変苦労しまして、出るまでに二度落選しました。一番初めのときは、今と同じ自民党が入党も認めてくれないで、全く無所属で出まして、当時は中選挙区でございまして、岡山第一区で出て、定員が五で、私を入れて九名立候補しました。それで、見事に九番目の最下位で落選したわけです。

二回目は自民党の公認をいただいたのですが、選挙というのはそう生易しいものではございませんで、三倍近く票は伸びたのですが、これももう一歩のところで落ちまして、結果的には六年半掛かって、三度目の正直で私は代議士になることができました。爾来、九回やっているわけです。

一つは、そういった試練を乗り越えることができた。では、その背景には何があるかというと、一つは、谷口正春という「生長の家」の開祖がいらっしゃるのですが、この方が、「生命の実相」という、四十巻ある本を書かれたのです。それを若いころ私は目にすることがあって、四十巻全部読ませていただきました。それまで、仏教哲学にしても、キリスト教にしても何にしても、よくわからないようなことが、そこには非常に細かく書かれていまして、その谷口正春先生の「生命の実相」というのは、どちらかというと唯心論なのです。唯物ではなくて、ただ心が描くように物事は現れるという、「三界は唯心の諸元なり」という言葉がありますが、そういう形で谷口哲学に触れたことも、私の原動力の一つかなと、そんなふうに思っておりまして、そこであしたの決断がなかなか難しいのですけれども、これはしっかりやらなければならないと思っております。ありがとうございました。

司会 ほかにございますでしょうか。今日は早稲田の学生さんから、しかるべきところの理事長さんから、女性から、男性から、皆さんいろいろな方がいらっしゃいまして、いろいろなご質問ができるかと思いますので、もしあればお手を挙げてください。

はい。

質問 「新しい日本」ということで、今ニートの問題とか、いろいろとございますが、民族の誇りということが一つのテーマであると思うのですが、一方、国際調和、国際協力ということで、今朝の新聞にも、インドネシアの看護師さんの開放、それから、フィリピンから二千人を超える看護師を受け入れ、そういった外国人労働者に対する門戸開放に関しましてのご意見、ご見解をお聞かせいただければと思います。

平沼講師 私は、自由民主党に二十五年いて、あと一年ちょっと無所属議員をしています。長い政治経験の中で、一つは、外国人労働者問題を政策審議会の副会長のときに引き受けました。そのときには、例えばバングラデシュだとかパキスタンとかといったところから、日本の給料が高いというので、みんな日本にやってきて、そして、西郷さんの銅像のところにたまっていた。これを何とかシステム化しなければいけないという思いがありまして、技能実習制度というのは、当時十七省庁が関係しておりましたが、私が司会役で、技能実習制度を作りました。

それは、彼らの目的が二つあるわけです。一つは、日本で何か技能を身に付けたい。もう一つは、日本で高い給料をもらって、国に帰って一山、二山当てたいということなのです。当時、日本もバブルの前ですから、非常に人手が足りなかった。ですから、そういうニーズがものすごくあったわけです。そこで、技能実習制度というのは、日本はある意味では島国で、ほぼ同一民族ということがありますから、出と入りをはっきりするというシステムをとりまして、そして、一年数か月働いてもらって、最初は一年半ぐらい働いてもらう。最終的には三年働いてもらうことになったのですが、そういうことで外国人労働者を期限付きでぴしっと入れるようにしました。

そのときには、結婚などはなるべく考えないでほしいという条件も当時は付いていました。私が最後の通産大臣になったときに、日本では、外務省以下がWTO体制を非常に信じておりまして、これはガット・ウルグアイラウンドから来ているわけですが、二国間のFTAとか、地域の経済協定は避けていたのです。しかし、気がついてみたら、世界じゅうでFTA協定はずうっと出来上がっていました。

そこで私は、シンガポールで演説をしたときに、まず、シンガポールが一番いいと思った。というのは、農業問題はほとんどないわけです。シンガポールは、熱帯のランの植物などがあるわけですから、まずシンガポールと私はやる用意があるという形で、日本のFTAの第一号はシンガポールとやりました。今はそれがマレーシア、更にはメキシコ、フィリピンと来ています。そして、タイ、インドネシアという形になってきて、今のお話につながっていくわけです。

ですから日本の場合には、今、少子高齢化でありまして、どんどん人口が減ってきています。ですから、そういう観点から、介護に必要な人とか、あるいは看護にたけたフィリピンの女性とか、そういう方々を迎え入れる必要はあると私は思っておりまして、そういう意味では、フィリピンもFTA交渉が成立する。ですから、その延長線上で、外からの人材を受け入れて、日本で訓練しながら、更に技術に磨きをつけていただく。こういったことはこれから必要度が非常に高まってくると思います。ですから私は、その方向でこれを伸ばしていく。このことは大切な、必要なことだと、そんな感想を持っております。

司会 まだまだあるかもしれませんが、時間の関係でここで終わらせていただきたいと思います。

平沼先生は、あすからいよいよ平沼先生の真骨頂が出るのですが、岡山から、平沼先生を激励したいということで、今六人の女性が駆け付けていただきましたので、花束贈呈をさせていただきたいと思います。

岡山から、寺尾様、浮田様、大河原様、杉本様、那須様、ホントク様、六人の女性が平沼先生のあすからの真骨頂頑張ってくださいということで、はせ参じていただきました。(花束贈呈・拍手)

司会 平沼先生はこのままご退席されますので、盛大な拍手でお送りください。ありがとうございました。(拍手)

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■報告:「新しい日本を創ろう −まこと(誠)と真心の輝く−」(第1部)
元内閣府副大臣・前衆議院議員 熊代昭彦

どうも済みません。誠にありがとうございます。平沼先生、すばらしいご講演をいただきまして、既にお帰りになりましたが、信念に満ちたお話、そして、大変な学識に基づいたお話をしていただきまして、このセミナーにご貢献いただきましたことを心から感謝を申し上げる次第でございます。

誠に恐縮でございますが、お席のほうに移動していただければありがたいと思います。今日は、これほど沢山の方が来ていただけるとは思いませんでしたので、いろいろな不手際がありまして、誠に申し訳ございません。心からお詫びを申し上げる次第でございます。

私のほうは、詳しいレジメを作りまして、お話しさせていただきたいと思います。

改めまして、六十回にわたりまして、こうしてお支えをいただきました。本当に感謝でいっぱいでございます。心から感謝を申し上げる次第でございます。特に、最近の五回は、衆議院選挙に出馬しないで、岡山市長選で落選した後でございまして、本当に皆様のお支えが心にしみるところでございます。大変高い席からでございますが、心から感謝を申し上げる次第でございます。ありがとうございました。(拍手)

「まこと(誠)とおもいやり(惻隠の心)の輝く新しい日本を創ろう」という大変大きな題でお話しさせていただきますが、レジメにいろいろと書いてございますように、「誠」というのは言葉が成るで、これも武士道の言葉です。「言葉が成る」ということですから、有言実行、言ったことをきちっと実現するという意味でございます。ご承知のとおりでございます。そして、惻隠の心、思いやりの心、これも武士道の心でございます。新しい日本は、古い、良いものをしっかりと学び直す中で、切り開くことができるのではないだろうか。ルネッサンスも、ギリシア時代に文芸復興をしたから新しい時代が始まったわけでございますので、日本のルネッサンスも、日本の心の復興ということで、新しい日本を皆様とともに切り開かせていただきたいと考えているところでございます。

「BUSHIDO(THE SOUL 0F JAPAN)」と書いてありますが、これは新渡戸稲造の本の題そのものなのです。武士道というと武士の道ですが、これは、いろいろなメディアというか、当時はメディアはありませんでしたが、講談を通じたり、義太夫を通じたり、小説を通じたりして、日本人の心になったということであります。

これを直接特にお話し申し上げる次第になったのは、二年前に、李登輝氏に会えるということで、台湾に行かせていただきまして、小林興起氏を団長に、四、五人で参りました。李登輝氏は、『「武士道」解題』という本を書いておられます。二十三歳まで日本人そのものであったわけであります。それで、台湾は非常に親日的であります。その理由も、この『「武士道」解題』に書いてございますが、台湾の開発のために、台湾の人の幸せのために、本当に命を賭けて働いた日本人がかなりの数いたと。八田與一氏の例もその中にちゃんと記してございますが、ダムを築いて大かんがいをして、台湾の沃野を造った人でございます。一生を台湾に捧げて、最後に招集を受けて南方に出向くときに、船が撃沈されて亡くなられた。その奥様は、もう日本に帰らなかったのですが、夫の造られたダムに身を投げて亡くなられた。こういう人の話もございました。

当時八十一歳で、今八十三歳でございますが、ゴルフ場の中に住んでいるのですね。ゴルフをしまして、ご自宅に行きましたが、ハーフだけでもきのうは三十六で回ったとか言っていました。大変お元気で、その本の中に、日本の武士道というのは、新渡戸稲造氏が書いた武士道。その日本人の心の中に、武士道の徳が沢山残っている。正直であれとか、惻隠の心(思いやりの心)を持てとか、誠がなければいけないとか、そういうものが日本の文化の中にしっかりと残っている。消え去ろうとしているけれども、しかし、桜の花のにおいのごとく残っているのだ。これを大切にしないで、日本人はどうするのですか。この大切なものが、日本人の広範な心に残っていることをしっかりと再認識して、世界のリーダーにもなれる。こういうのが日本人ではないか。世界のために、ぜひ貢献してほしいという思いで李登輝が書いておられました。決してお世辞を言われる人ではありません。実際にお会いしてみて、第一級の政治家でございました。

そして、武士道だけではなくて、日本の文化、文芸を中心に学び直して新しい日本を創りたい。このような思いでございます。それが根本的なものでございますが、しかし、具体的には、郵政民営化の話もございまして、既に平沼先生から詳しくお話をいただきました。その民営化に端を発して、今こうしてここに立っているわけでございますが、自民党籍を失わなかったので、自民党公認をお願いしておりました。それで、刺客が出てきて、これは何と言うことだと。特に私が岡山市長になるために一生懸命に応援した人間が、「熊代さんにはご恩がある」と前日のテレビで言っていましたが、現実には刺客として出てきた。出てきたいと非常に思っていたわけですね。いいチャンスだと思ったわけでありまして、そういうことでありますが、私自身としては、岡山市長のポストが空いたので、そちらに行くという決断をしました。しかし、大村襄冶先生から引き継ぎました衆議院のポストを、大村二代、親子で十四回当選された、その三代目として引き継いだ私でございますので、断腸の思いでありましたが、しかし、そちらに転身しようとしたと思います。

今、後の知恵で思えば、やるべきでなかったと思います。日本の歴史の中に、皆様ご存じの、斎藤隆夫という衆議院議員がいます。昭和十五年に反軍演説をしたのです。ちょうど私が生まれた年でございました。大東亜共栄圏とか、いろいろと言いながら、満州の戦線をこんなに拡大していっていいのだろうか。今政治家がこれをはっきりと「ノー」と言ってとどめなければ、政治家は、後世の人にどのような言い訳ができるのか。死んでも言い訳ができないという演説をしまして、衆議院の議場は粛然としまして、咳として声がなく、終わったら万雷の拍手であったのですが、しかし、衆議院は、満場一致で彼を除名処分にして、次に、大政翼賛の翼賛選挙があったわけですが、兵庫県民は彼をトップ当選させた。翼賛選挙で登録できなかったのですが、無所属で出て、トップ当選させた。兵庫県と、日本国民のこの政治に対する思いは半端でないなと思っておりました。

そういう事例を見ながら、衆議院選挙に出なかったというのは、やっぱり私の大きな、大きな誤りであったなあという思いでございました。しかし、衆議院選挙に出なかったから、除名処分にならないで、離党勧告がなくて、自民党員として残ったものですから、やっぱり国政に帰りたいという思いで、自民党の公認をお願いするということで今日までやってまいりました。ご参会の皆様にも大変ご支援をいただいて、五千人の党員を集めまして、推薦団体もご推薦をいただきまして、推薦状を持ってくれば、党の選挙対策小委員会にかけて、それで公認をしてあげよう。そのことについては問題がないと、十月十八日の谷津選挙対策総局長から言っていただきました。

しかし、いろいろと考えておりました。最後と言いますか、最終局面になりまして、離党勧告を受けた方々が、踏み絵を踏まなければいけないと。中川秀直幹事長が、踏み絵を踏んでもらわなければいけないということです。踏み絵を踏むって、私は、この言葉は非常に胸にこたえました。あの江戸時代で、信仰の厚いキリシタンに踏み絵を踏ませて、踏まなかったものは本当に信仰が厚いのだということで、火あぶりにしたのですからね。日本の歴史の大汚点です。こんな人権感覚のないことはない。その歴史のことを知りながら、踏み絵を踏ませるというのは何事であるかという思いでありました。良心の自由を圧迫してまで帰りたい人を受けるのだと。そういうことは、私自身としては受け入れられないという思いでございまして、大変申し訳ないけれども、そういうことであれば、私自身は自民党公認を求めない。

私事を申し上げて恐縮ですが、私自身も武士道に接ぎ木をしたキリスト教の内村鑑三の弟子の弟子の弟子で、孫孫弟子ですが、四代目でありまして、二代目に矢内原忠雄氏ほか沢山がおられます。三代目は西村ヒデオ先生、四代目が私たちですが、そういうこともございます。信念に殉ずるという思いでございます。

今、長谷川憲正先生が、お忙しい中を駆け付けていただきましたので、ここで少し中断させていただきまして、ごあいさつをいただきたいと思います。恐縮でございます。長谷川先生、お忙しい中、ありがとうございました。(拍手)

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■来賓挨拶
参議院議員 長谷川憲正 先生

皆様、どうもお疲れでございます。ご紹介をいただきました、参議院議員の長谷川憲正と申します。

私は、昨年の郵政民営化の議論の中で、私はもともと郵政省に三十年以上も勤務した経験のある者でございまして、郵政民営化というのは国家のためにもならない、地域のためにもならない、だれのためにもならないという思いで、一貫して民営化に反対させていただきました。おかげさまで、熊代先生初め多くの先生方のご理解をいただきまして、参議院の本会議では否決させていただきました。したがって、法案は廃案になったわけであります。

しかしながら小泉さんは、理屈は全然わからない方ですが、けんかだけはめっぽう強い方でして、憲法も無視、国会法も無視という中で、参議院で否決され、衆議院では通ってきたわけですが、その衆議院のほうを解散されまして、力技で国民の皆さんをだまくらかしまして、選挙で勝つことによって、改めて廃案になった法案を復活させて、無理やり成立させるという芸当をなさいました。

そして、解散のあの戦いの中で、多くの先生方のところに刺客を立てられた。市民等の候補として公認しないだけでなくて、刺客を立てるという、前代未聞の暴挙をおやりになりましたので、こういう冷たい政党には私はおれないと。私は参議院でございますから、別に解散によって議員の資格を奪われたわけではございませんが、私は、こういうものは黙って見ているわけにはいかないという思いで、自民党を離党させていただきまして、綿貫先生がお作りになりました国民新党、国民のために真面目に働く政党という意味で、国民新党……

(テープ反転)

……衆議院四人、参議院四人という、八人だけの小さい政党でございますので、何から何までやらなければなりません。今日も、あしたから参議院のほうの審議を正常化しよう、衆議院では、教育基本法の採決を自民党、公明党単独でおやりになりましたので、ごちゃごちゃしておりましたが、いつまでも待っていられないということで、あしたから正常化するということで、その国対委員長の会議とか、それから、特別委員会を作るわけでありますが、その理事予定者の会合だとか、夜中にいっぱいありまして、今そこを抜け出して、先生の応援に駆け付けさせていただいた次第でございます。

私は、熊代先生の大ファンなのです。一日も早く国政の場に復帰していただきたい。そのためには、どんな応援でもさせていただこうと思っておりますが、ご本人の前で言いにくいのですが、私がご本人に惚れている一番の理由は、どんなときでも正論をお吐きになる。正しいと思ったことは、正しいと納得がいくまで主張なさる。世の中、そろばんをはじいたら損なこともいっぱいあるわけです。しかし、正しいと思ったことを曲げない。この先生の崇高なる精神に、私は惚れ込んでいるわけであります。

私は、郵政省を辞めさせていただきましてから、縁がありまして、三年間ヨーロッパの一番北のほうでございますが、サンタクロースの国でございますけれども、フィンランドで大使をさせていただいておりました。丸三年間、家内と二人で駐在しまして、特命全権大使の仕事をしていたわけでありますが、そこでヨーロッパの各国の政治を見ておりまして、つくづく思ったのです。日本の政治は間違っている。日本は先進国だ、先進国だと言いますが、とんでもない、まだまだ後進国なのだなあということを痛切に感じました。

なぜならば、今の日本はすべて競争です。強い者も弱い者も一緒くたにして競争です。ですから、必ず弱い者が負けます。大企業が勝って、中小企業は泣きの涙です。東京は栄えますけれども、地方はどんどん衰えていきます。ところがヨーロッパの各国は、少なくもヨーロッパの先進国を見ておりますと、どこも自分の国をよくするためには、弱い人を助けなければいけないと。この国に生まれた人たちは、国民である以上は、生まれただけでなくて、外から入ってこられる方もいらっしゃいますが、この国で一緒に暮らそうという人たちはみんな幸せにする義務がある。それが国家だ。そのために政治があるのだ。そして、この国の文化と伝統を守らなければ、国として将来も発展していかない。やはり筋が通らないといけないので、文化や伝統を大事にする。そのためには、地域社会を大事にする。地域社会に若い人がちゃんと仕事を見付けられるようなことをするのだ。そういうことを一生懸命やっているわけです。そのことがはっきり見えるわけです。

それから思うと、日本は随分いいかげんな政治になってしまったなあと。国民のほとんどが中産階級だと自覚できるような社会を先輩の皆様が作ってくださいました。ところが今、勝ち組、負け組、どんどん差が開いていくわけでしょう。大企業に対しては、法人税の減税などが今新聞にも出ていますが、皆様方のところはどうですか。住民税は上がり、医療費の負担は上がり、年金は下がり、年が明けたら、今度は所得税も上がってくるわけでしょう。住民税ももう一度上がりますよ。ツケがみんな皆さん方のところに回ってくる。弱い人にばかりツケを回して、強い人だけを優遇する。そんなことで本当の意味でのいい国家になどなれるわけがない。

私は、大企業はもうかって、弱い人と全部足してみると、何となくこの国の経済はいいという統計が出てくる、そんな数字の魔術で国民は納得しないと思うわけです。どんな弱い人でも、やっぱりこの国に生まれてよかったなあ、この地域で生活していてよかったなあと実感してもらえる社会を作ることが、政治の義務だと私はヨーロッパにいて思ったのです。

それが、戻ってきまして政治家になるきっかけになったわけでございますが、一つ、非常に面白い事例があったのです。フィンランドは今、経済成長が非常に順調なものですから、電力が足りないのです。自分の国から石油も何にも出ないのです。下は固ーい岩盤だけでございます。ロシアから電力を買っているのです。ところが、フィンランドというのは、もともとロシアに支配されていた国でありまして、日露戦争で日本がロシアを負かしたおかげで、フィンランドはロシアから独立ができた。いまだに日本は助けの神だと思っている国ですが、そういう国なものですから、ロシアからいつまでも電力を回続けるのは危ない。国家安全保障上、こんな不安定なことはない。やはり自分で電力は造ろう。

そうなると、高い石油を外国から買ってくるか、それとも、多少技術的に不安はあるけれども、原子力で発電をするか、どちらにしようかと大議論になったのです。私は、日本で同じような議論が起きたら、今はまだ方法はないのですが、ほかの国などを見ていても、国民投票に大体かけるわけです。ところが、フィンランドは国民投票にかけませんで、議会で決めるのです。

私、新聞記者に聞いてみたのです。面白いですね。「国家の大事をこの国は国民投票で決めないのですか」と聞きましたら、新聞記者が、「我が国にはそういう伝統はありません。国の大事なことは、政治のプロである政治家が議会で判断して決めるのです」と言うのです。はあーと思って、「国民はそれで黙っているのですか」と言ったら、「我が国の国民は政治家を信頼します。知識のない国民が素人判断をすると国の将来を間違う。だから、国会にすべてをかけるのだ」とおっしゃるので、いや、これはすごい。日本の国会とは大分その信用の度合いが違うなあと思いました。

そうしたら、小さな国ですから、五百四十万人ぐらいしかいないのです。面積は日本と同じぐらいですが、人が少ない国ですから、国会は一院でございます。上も下もありません。衆議院、参議院はありません。一院で、国会議員は二百人です。一人は議長ですから投票しません。百九十九人の方が投票されて、何と大議論になりまして、百七対九十二で決まったのですが、日本だったら当然、自民党は賛成、民主党は反対、こんなことになるわけでありますが、党を見てもばらばらなのです。賛成の人もいれば反対の人もいる。閣内不一致とか不一致でないとかという言葉がありますが、閣僚もみんな違うのですよ。総理大臣は賛成、外務大臣は反対、通産大臣は賛成、教育大臣は反対、ごちゃごちゃなのです。何党が賛成、何党が反対、そんなことはありません。

一つだけわかったのは、女性の議員も多いのですが、大体女性の議員は反対が多かった。女性のほうが、危険というものに対する感受性が強いのですね。ですから、女性のほうが、原子力反対という意見が多かったですが、しかし、ごちゃごちゃの投票がありました。そして、百七対九十二で原子力発電を造ろうと決めたら、もうみんなで決めたことだからと言って、みんなで守るのです。その代わり、核廃棄物は外国に出さない。自分の国で穴を掘って、そこへ全部埋めてしまうということを決めております。

こういうのを見てくると、日本のように、何党は賛成、何党は反対、しかも議論に参加してない党員まで含めて会議に集められて、「皆さん方、今日はこの法案と、この法案と、この法案の採決がありますから、皆さん、賛成のボタンを押してください」ということになるわけです。それに反対しますと、「党の決定に従った(従わなかった?)。おまえは党から出ていけ」と。それが今の自民党でございます。

私は、これは民主主義国家として非常に恥ずべきことだと思います。今の教育基本法の問題もそうですが、国にとって大事なこと、国民生活にとって大事なことは、政治家一人一人がきちんと判断をして、自分を応援してくれた人たちもいるわけですから、その人たちの心情もちゃんと聞きながら、自分で判断をして方向を決めるべきだ。賛成も反対もあるべきだ。同じ党にいるから、全部一律賛成だなどということはあり得ないですよ。家族の中だって意見が違うのですから。夫婦だって意見が違うことは沢山ある。しかし、それを乗り越えて妥協の道を探すというのが人間の社会の知恵ではないでしょうか。そういうことを一切合切捨て切ったような国で、まともに発展した国などはどこにもありません。

ドイツがそれで失敗した。ヒットラーを生んだのは、あの人は暴力で権限を握ったわけではありませんね。国民が選んでしまったのです。ですから、国民の皆さんは主権者でございますので、しっかりと一切自意識を持っていただかないと、日本の政治がどんどん曲がっていくと思うのです。

そういう中で、とにかく正しいことを正しいと訴えて、皆さん方の支持を得ながらやっていかれる。その熊代先生の姿勢に私は強く引かれておりまして、どこまでもお供をしてまいりたいと思っている次第でございます。

実は、今日はパーティーかと思いまして、今ごろ来たらもう皆さん残っていらっしゃらないのかなと思いましたが、遅くまでこうして熊代先生とご一緒に勉強しておられる皆さん方のお姿を拝見しまして、日本も捨てたものではない。皆さん方のような方がいらっしゃる限り、まだまだ未来は明るいと思っております。

私は、幾つぐらいに見えるかわかりませんが、とっくに還暦を超えておりまして、孫も三人おります。今四人目ができかかっておりますが、私の望みは、もう自分の名誉や栄達ではございません。世の中から言えば、顧問的な資格で横から、こういうこともあったよというような助言をするぐらいの仕事で十分だと思っておりますが、しかし、一日一日と大きくなってくる孫を見ていて、このおかしな世の中を、このまま黙って、私たちは何にも努力をせずに、子供や孫も世代に渡してやるのは無責任だなと。ですから、先生も大変なおけがをされたわけでありますが、私はそのことも本当に胸が痛みますけれども、しかし、正しいことは正しいと、どこまでも筋を通して頑張る人たちがいないと、日本の社会はよくならないし、困るのは、私たちの跡を継ぐ若い人たちだと思うのです。その人たちのために、やはり粉骨砕身やらなければいけないなと、今でも思っております。

皆さん方、いろいろご心配もあろうと思いますが、大丈夫ですよ。私は日本の古国民を信頼しております。一時的にテレビや新聞に惑わされて、ごまかされることはあっても、正しいことはきちっと訴えればわかっていただける。そういう魂の移し替えのようなことを、熊代先生とご一緒に、皆様方も一緒に立ち上がって、これからも戦っていただければ、大変にありがたいと思います。

そのことが、熊代先生お一人の将来のためということではなくて、熊代先生がまさに代表されるその正論によって救われる多くの人たちのためのなる戦いでございますので、ぜひこれから先もお力を貸していただきたい。私も、無力な者ではございますが、持っている全力を振り絞って熊代先生のご支援を申し上げたいと思う次第でございます。

途中から割って入って、大変長い話をしまして大変恐縮でございましたが、熊代先生とご一緒に、皆様方がますますご健康でご多幸でありますように、心からお祈り申し上げまして、あいさつに代えさせていただきます。どうもおめでとうございます。ありがとうございました。(拍手)

司会 国民新党、参議院議員、長谷川憲正先生でございました。先生は、急遽駆け付けていただきましたが、すぐ退席されますので、盛大な拍手でお送りくださいませ。(拍手)ありがとうございました。

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■報告:「新しい日本を創ろう −まこと(誠)と真心の輝く−」(第2部)
元内閣府副大臣・前衆議院議員 熊代昭彦

長谷川憲正先生に駆け付けていただきまして、本当にすばらしいお話をしていただきました。心から感謝を申し上げる次第でございます。我々日本はまだまだ見捨てたものではない。本当に正しいこと、しなければならないことをしっかりとやる勢力があるのだというお話をしていただきました。

郵政民営化については、国民新党は、民営化自体は賛成ですと。ただ、三事業一体の法律を出すというお立場でございますから、民営化そのものに反対しているように聞こえてしまうのですが、あの選挙そのものは争点のすり替えであったと思うのです。本当の争点は、民営化で一兆数千億円の利益を上げている郵政公社がそのまま株式会社になる。それで、平沼先生のお話もございました。特殊会社として、二、三割は国で株を持っておこうかということです。そういうことで合理化をすれば、全国津々浦々郵便局はきっちりとやっていきます。しかし、今やもうばらばらになって、赤字になるのが必須のところだけを郵便局株式会社として、特殊会社として残したということでありますから、これは問題がだんだん明らかになってくる。

それで、国民投票という衆議院選挙にかけたわけですから、これは明らかに代議制で決すべきところを、単純な問題にすり替えて、郵政民営化賛成か反対かと。賛成が多いのですよね。当たり前であります。私も賛成であります。しかし、本当にアメリカの言いなりで、日本国民の国益を害してはいけないというのが本当の争点であったと思います。そういうことを少し補わせていただきます。私のレジメの中にも書いてございますが。

長谷川憲正先生のお話がございましたので、一つ忘れておりましたので、前に戻らせていただきたいと思いますが、武士道は嫌いだと。あんな敵を殺して、首を切って持ってきて、論功行賞にあずかる。とんでもないと言う人がおります。私のごく身近な人もそういうことを言ってくれましたが、しかし、武士道の思いやりの心、惻隠の心は、まさしく女性の一番の徳でありまして、思いやりの心と、身近な人すべてを平等に扱うというのが、特に日本の女性の本当に優れた徳であると思います。

新渡戸稲造先生は、メリーさんというアメリカ人の女性と結婚しておられまして、その人に武士道を説明したのですが、女性と武士道という一章をちゃんと設けて、武勇が一番問題になる封建時代であっても、女性がいかに優れた役割をしたかということをきっちりと説明しておられました。

あの身近な例としては、「功名が辻」の山内一豊の妻、千代さん、ああいう方ですね。戦いには行かないけれども、しっかりと守るのだということであります。そういう意味で、天の半分を支える女性の皆様の力、思いやり、愛というものを政治のど真ん中にしっかりと据えたい。それも新しい日本の大きな大きな中核であると思っております。これを一言補わせていただきたいと思います。

それで、歴史に学ばず人権感覚がないというお話をしたわけでございますが、小泉さんが選挙に勝ってしまったら、勝てば官軍でもう議論がなくなったという自民党について、私は本当に驚いています。私自身は野党で当選しましたから、野党を裏切って、与党にいく議員がいっぱい出ましたので、あんな年功序列ばかり尊敬していて役員を任命したら、あんなことになるのだ。本当に自民党の理想を愛し、自民党の理想のために働く人に報いなければならない。そのために、私は最後の一人になっても自民党を守り抜くのだと、『私が総理になったら』という本に書かせていただきました。大変生意気な題ですが、すべての国会議員が書くべきだと私は思っているのです。別に私がなれるとか、本当に総裁選に出られるとか思いませんでしたが、書きました。しかし、あの選挙で小泉さんが勝った途端に、本当にこの郵政民営化は国民の利益になるのかどうかという視点をすっかり忘れてしまった。だらしがない。堕落だと思います。

そういう人間でなければ、自民党に再び受け入れられないのだ。踏み絵を踏ますのだと言った自民党は堕落だと思います。ここまで堕落したら、私自身は自由民主党を抜けたいと思います。そして、むしろアメリカや、イギリスや、ヨーロッパ各国のように、政権交代のある日本というものに賭けていかなければいけない。誤りない将来を選び取るためには、一方の党が誤ったら、もう一つの党あるいはもう一つの勢力が、これは政権交代をするのだと、それを批判して、新しい道を選べる、そういう日本にしておかなければ危ないという思いになってまいりました。

アメリカで民主党が中間選挙に大勝しました。上院、下院で民主党が多数を占めました。これは次の大統領選挙でも、民主党が勝つという予兆です。確かにアラブ諸国に、イスラム圏に民主主義を打ち立てたいというのは、大きな大きな理想であったと思いますが、ここまで人が死んで、ここまで収拾がつかなくて、これは理想はともかく、方法が何か間違っているのではないかということになると思います。そして、民主党が、恐らくヒラリーさんがなるのかな?それは二年先ですからわかりませんが、ヒラリー・クリントンさんが今大変優勢のようでありますが、民主党が政権を取る。イラク、アフガニスタンから名誉ある撤退を始めます。間違いなく始まります。

こう申し上げるのは、昔の話でありますが、私自身がベトナム戦争のさなかにアメリカのウィスコンシン大学に留学しておりました。大学院でありますが、国から留学させてもらったのですが、そこはベトナム戦争反対のメッカでありました。戦争反対のために、バスコムホールという当時のホールが爆破されたり、その爆破を見て、ウィスコンシン州の州兵がキャンパスにばーっと並んだ。めったに使いませんから、ほこりを払って銃剣を持って並んだのです。それを見て学生たちが、これはもうツーマッチだということで、ストライキを始めた。On strike shut it downとか言うのですね。そういう英語があるのかと初めてわかったのですが、我々はストライキだと思う。学校を閉じろと。あんたもおれたちに参加しろと言うのですね。「私は政府から参加しているから、ちょっとできないんです」と言ったら、「日本人というのはだめだなあ。言うこととやることと違うなあ」などと叱られてしまったのですが、いずれにしましても、ケネディ、ジョンソンと民主党でベトナム戦争に深入りをしてしまって、それで、トリッキー・ニクソンと言われた、やや悪党ではあったのでしょうけれども、ニクソンが、共和党の大統領が勝って、名誉ある撤退を始めました。堂々と撤退をしてしまいました。そういうことで、二大政党が本当に機能して、アメリカの人たちは救われたのです。

あの学生たちは本当に良心的でありまして、この戦争はもう正義に反する。我々は良心的兵役拒否を使わない。カナダに逃げるのだと。あるいはヒッピーになって体制から脱落していく人もありました。そういうときにベトナム戦争から出て、徴兵制をやめて、今もって志願兵です。志願兵ということは、志願して、給料をもらって戦う兵隊ということであります。アメリカはそういうことになりました。そのような先例を見ておりますと、日本も、二大政党というふうに一挙にいきませんが、やはり二大政党の勢力を作って、大きな過ちをただしながら進める国にしなければならないという思いでございます。

自民党、反自民ではなくて、非自民でいきたいと思います。自民党も優れたところが沢山ある。だから、それに更に優れた党を作って、政権交代を行う。自民党はそれを見て、更に優れた党になって、また七、八年したら政権の交代を行うということが必要であろうと思います。

県知事が、汚職、談合で沢山逮捕されております。これは自民党長期政権が支持した知事でもあります。やはり権力は腐敗する。特に長期政権は腐敗するのだということは間違いない事実でありまして、政権交代があって、思い切ったクリアランスができなければいけないと思います。あんた、損なことができるのか。小泉さんはあれほど人気がよかったし、それから、安倍晋三も、私の同期ですから、とりあえず晋三と言っていますが、向こうは「くまちゃん」と言っているから相身互いですが、人気がいいということであります。いかに困難であってもやらなければならない。性根を据えて、本当にやるべき人が一人、二人、三人、四人増えてくれば、日本は生まれ変わってまいります。新しい日本ができるという思いでございます。

どのような対立があるかと、ごく具体的なことを書いてございます。「明確な対立軸は何か」。哲学は、「共生の哲学か弱肉強食の市場原理か」等々書いてございます。「弱者、たけよう、命がけで」というキャッチコピーを使わせていただきますが、「生意気じゃなあ。弱者で、自分が強者みたいじゃないか」とか言うのですが、私自身も弱者であります。今特に弱者であります。ただ、だれが一番弱者か、我々は議論したことがあるのですが、本当に弱者というのは病気の人です。重い病気になった人ほどの弱者はありません。

骨髄移植のご質問をいただきました。骨髄バンクの方も来られました。骨髄移植をしなければ命がともされない。こういう人は本当に弱者であります。しかし、だれもかれも弱者になる可能性はある。弱者になったときにしっかり支えてあげようではないか。それが健康保険であり、あるいは健康保険を超えるものでもあります。しかし、財政の要求に押しまくられて、消費税を上げない。かつて国民福祉税が大問題になりまして、政権を失ったのが、当時の、我々が野党のときの与党でありましたが、福祉目的の消費税、この議論を抑えて何とか削ろうとしています。しかし、これは現実離れしています。やはり政権を失いたくないということで、泥をかぶっても議論しようとする心がないのです。ですから、本当の議論というのは、徹底的に行政改革をする。歳出削減をする。徹底的に不正の防止をする。そういうことをしながらも、必要なものはやはりしていかなければいけない。先ほど長谷川憲正氏のフィンランドの話がありました。そういう心がなければいけないと思います。

徹底的に弱者を切り離していく。徹底的に弱者の道を奪うということではだめであります。自民党もそこまで考えていないと思います。しかし、現実問題としては介護難民、そして、医療難民、リハビリ難民等々、いろいろ出ております。これを手当てしなければならない。介護保険で受けられる手だてをしてからしなければいけないのを、先にもう切ってしまった。介護保険は、市町村の介護保険の保険料が上がるから、施設を準備しないままでやってしまいました。改めていかなければならないと思います。

普通の市民、庶民のための政治なのか、金持ち優先の政治なのかというのも大きな対立軸だと思います。私は、農家の八反百姓の次男でありましたから、普通の庶民、普通の市民のための政治をやりたい。NPO法を作ってやったのも、私が役所のときに本当に苦労をして、すばらしいいい案だなと思っても、一億円の金が集められないのです。すばらしい社団法人の案だなと思っても、年間一千万円の収入が集められないのです。みんなボツになってしまう。これを何とかしてあげたいということで、議員になったときは議員立法で、基本財産ゼロ、年間収入の予定もゼロでいい。ただボランティアでしっかりと計画を立ててやってください。情報公開があなた方の活動を支えますということを言いました。

思い切った寄附文化を作らなければいけないと思います。今の財務省主導のけちけちしたことではなくて、本当に個人が寄付をしたときは優遇がないのです。企業が寄附をすると、ある限度では優遇があるのです。そのプラス・アルファが更に免税になるかならないかということで、特定公益増進法人というのがあります。

例えば個人は十万円ぐらいならば、NPO法人あるいはその他のいろいろな公益法人に自由に寄附していいですよとすれば、企業とイコールになるのですね。企業とイコールにしていない。思い切った変革が必要であると思います。

申し上げれば切りのないことで、レジメに沢山書いてございますが、地方を切り捨てていくのか。地方分権と言いながら、どんどん交付税を消していくというのではなくて、地方主権の時代を作らなければいけないと思います。地方重点主義の政権を作っていかなければいけないと思います。そして、あらゆることを都道府県、市町村に下ろして、国は、アメリカの連邦政府のようなことをすればいいのです。

今、道州制を議論していますが、道州制にするだけではだめなのです。やはり連邦国家にしなければだめです。十とか十一とか今言っていますが、七つか八つでも結構ですが、連邦国家にしなければならない。あらゆるものはその道、州でできる。そして、連邦国家でなければできないものだけを国の政府がやる。その権限を離したくないとかいうようなことではいけないのです。それは見事な新しい国が出来上がってまいります。アメリカの先例があり、そして、ドイツの先例があります。この先例のとおりにする必要はない。いいところを取って、悪いところを切り捨てていくけれども、これをしていかなければならない。教育もそうです。思い切って地方に人材育成を任せる。そして、地方で自らすべてを決めることができるようにする。

不安に思われると思いますが、徳川時代は連邦制でした。三百の諸藩が、軍隊も持っていたし、貨幣も持っていたし、あらゆることがやれます。備中松山藩の山田方谷が大改革をしたと申しました。それは貨幣制度も替えたし、軍隊も替えたし、清潔な政治をしたし、徳川幕府に相談したわけではありません。相談しないからできたのです。不安を取り去って思い切ったことをすれば、すばらしい新しい日本ができると思います。それを高い次元で競争し合う。

今、民主党はまた昔の作戦に戻って、欠席戦術とか、いろいろしていますが、あんなことはもう一切やめたほうがいいです。あれをやってくれると、自民党政権は長引くと我々は言っていたのですが、逆の立場に立てば、ああいうことは決してやらない。徹底的に議論して、議論が終わって多数決で負ければ、それはいいと。ただ、批判すべきところは批判し続ける。そんなことだと思います。

平沼先生のすばらしいお話がございました。長谷川憲正先生のすばらしい話もございました。お疲れだと思います。わたしはできるだけ短くと申しましたが、ついついいろいろと申し上げました。武士道について一言申し上げれば、桜の花のにおうがごとく、日本にまだまだ漂っている。これを大切に活用しようというので、「大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」。本居宣長の句です。大和心というのは何ですかといったら、それは朝日に匂う山桜なのですよと。そんなことで、幸いなことに、三百年、四百年の歴史を重ねて、我々にはすばらしい倫理がある。この倫理を大切にしていく教育もしなければいけないし、倫理をセンター試験に出すとか、そういう工夫も必要です。試験されないものは勉強しないというのは、賢明な利己心からいえば当たり前なのです。ですから、ちゃんと試験していかなければいけない。

もう一つは、「そんな困難な仕事に取り組んで、あなたは大丈夫ですか」とおっしゃると思います。大丈夫ではありません。これは全く大丈夫ではありません。皆様にお支えいただかなければとてもだめだと思いますが、これも武士道に載っている一句を申し上げますと、山中鹿之助の「憂きことのなおこの上につもれかし限りある身の力ためさむ」。何ぼでも大きいことは来なさい。しかし、自分自身は限りある生身の死すべき人間だ。限りある身の力試さんという思いであります。山中鹿之助は途中で切られましたが、今は切ったり殺されたりする時代ではございませんから、本当に心を込めて、思いを込めて、日本の国の将来のために、子供たち、孫たちのために、更にその子孫のために、全力を挙げて、性根を据えて頑張ってまいりたいと思います。

どうか引き続き温かいご支援を賜りますように、心からお願い申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

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