経済・保健福祉研究会第56回セミナー講演録
日時:平成18年2月1日(水)
場所:砂防会館別館シェーンバッハサボウ「信濃」
講演:「サバイバルプラン −MBOで危機をチャンスに変えた」
衆議院議員 奧 野 信 亮 先生
報告:「NPO・保健福祉施策の動向とMBO」
前衆議院議員 熊 代 昭 彦
■開会の挨拶
前衆議院議員 熊代昭彦
(拍手)皆様、こんばんは。第五十六回の「経済・保健福祉研究会」、しかし、昨年のいろいろな選挙がありました後の初めての再開ということで、いろいろなことがございましたが、これをスタートに、また力一杯頑張らせていただくという会でございます。
私のほうは、後ほど改めてごあいさつさせていただきたいと思いますが、最初は、冒頭に奥野信亮先生のご紹介をさせていただきたいと思います。既にプロジェクターもありまして、用意は整っておりますが、お手元の資料の中に、奥野信亮先生のご経歴がございます。
昭和十九年のお生まれでございますが、ご承知のように、有名な奥野誠亮先生ですね、九十歳まで衆議院議員をされました。本当に実力者の奥野誠亮先生のご子息でございます。お手元にございますように、慶応大学の工学部をご卒業で、日産自動車にご勤務でございます。米国日産にも勤められまして、ゴーンさんが来られる直前にバンテックの代表取締役社長で転出されまして、しばらくしてゴーンさんがバンテックを売り払うと言われたということで、今日の表題にございます「サバイバルプラン−MBOで危機をチャンスに変えた」。バンテックをマネージャーがバイアウトした。マネージャーが買って独立したということでございます。すばらしい社長としてのご経歴で、企業価値を三倍にも六倍にもされていったということでございます。
ホリエモンの話で若干いろいろしておりますが、しかし、本当のMBOあるいはMBIは、今日の時宜に合ったすばらしいことではないかと思います。そのご苦労と、すばらしいご努力の跡を、今日はスライドを交えながらご説明いただけるわけでございます。
この間選挙がございまして、現在二回当選されまして、二期目でございます。自民党国家戦略本部国家ビジョン策定委員会副委員長もしていらっしゃいまして、予算委員会、総務委員会、自民党内閣部会副部会長、財務・金融副部会長ということで、要職を占めておられますが、何よりも大実力者でございまして、本当にすばらしい方だと思います。すばらしいご講演を聞いていただきたいということをまずもってお願い申し上げまして、改めまして、足元のお悪い中、お集まりいただきましたことに対しまして、心から感謝を申し上げて、ご紹介のごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。どうぞよろしくお願いします。(拍手)
では、奥野先生、お願いします。
■講演:「サバイバルプラン −MBOで危機をチャンスに変えた」
衆議院議員 奧野信亮先生
(拍手)皆さん、こんにちは。表題が、経済・福祉セミナーと書いてあるものですから、私ごときがマッチングした講師かどうかわかりません。ただ、共通して言えることは、今の経済社会の中で、企業価値を大きくすることが、それ相応に意味のあることなのだということは、どこへ持っていっても最大公約数的に間違った考え方ではないと思います。ただ、使い方を間違えるとホリエモンのようになります。
ホリエモンという人は、図々しくて、企業の株式分割をして、株式分割をした途端にいろいろデマを飛ばして、いかにもその企業が価値があるがごとくのことを流布して、新たに発行した株式についても、更に株価が高いのだということで、ずるをしてもうけた人でありますから、私はそんなことはしていないで、実態として本当に企業価値を上げるために、いろいろな苦労をしてきたということを今日はお話しできればと思っております。
私は、今、熊代先生からお話しいただきましたように、本を正せば経済人でありまして、政治家ではないのであります。やむにやまれず政治家になったわけでありまして、いまだに政治家の水にはなじんでおりません。そういう意味で、逆に、では、熊代先生とどうしてそんなに近づいたのだということでありますが、熊代先生も、どちらかというと経済人に近い考え方をお持ちになっておりますし、そしてまた、政治家の中でも、変革、改革ということに対して大変な執念をお持ちになっている。そういった意味で、私も経済界の中で改革を志向してきたものですから、そういったところが一致したということでございまして、この間の選挙で、大変残念ながら、次をねらわざるを得ないという立場に立たれたわけでございまして、少し話をしてくれない?と言われたものですから、私でよければということで、快く引き受けさせていただいた次第であります。
ここにパワーポイントを用意しましたが、若干アウトラインだけ、私のお話しする内容をご説明しておいたほうがわかりやすいと思いますので、先にアウトラインだけお話しいたします。
私は、今、熊代先生からもお話がありましたように、日産自動車で仕事をしてまいりました。そして、ゴーンという人が、日産自動車の改革のためにフランスから派遣されてきた。そうした中で、私は、それならばということで、日産自動車の子会社であるバンテックという会社に出向を命じられて、社長をやらされたわけであります。社長になって初めてわかったのですが、子会社というのは、親会社の言うことを聞いているだけで、もうけるだの、企業価値だのという感覚はみじんもない。特に、そこに取締役としていた連中も、全くそういう意識がない。これは大変だということで、サバイバルプランをしていく過程で、今度はゴーンからえらい仕打ちが来ました。
子会社は沢山あるけれども、子会社については、究極は株式を売却すると言われたものですから、売却されてしまうと、例えば日本通運に売られてしまったら、このバンテックという会社はロジスティックスカンパニー、物流会社でであります。ですから、今申し上げた日本通運と同じような仕事をしております。日産自動車が使う部品を造っている会社から日産自動車へ部品を運んだり、あるいは日産自動車のある工場で造ったエンジンを、車両を組み立てている工場へ運んだり、また、それぞれの部品がストックとして発生する場合には、私どもの会社のストックヤードにストックしたり、そして、ラインで必要になったものを適宜、適切にチャージしていく。
自動車業界は、大変進んだ業界だろうと思います。ちなみに、一つ事例を申し上げると、私が今から考えると、一九六六年に会社に入りましたから、四十年前に自動車の部品を造り始めて、その造り始めるというのは、エンジンの鋳造から始まって車に至るまでの時間が、会社へ入ったころは約四十日でございました。もちろん、その中にはストックもあれば、ラインの上に乗っているのもある。全部で四十日であります。今現在は、それが一週間であります。それだけ無駄なストックを途中で持たないような業種であります。もちろん、トヨタも同じぐらいだと思います。そういう企業でありますから、物流というか、我々が担当する仕事は、業界では大変キーの業界であります。そういう意味で、日産自動車が私どもの株を売るということになると、大騒動になるわけであります。
そんなことを言われたものですから、それは大変なピンチだということでありまして、そのピンチを逆手にとってチャンスに変えてやれというのが、私がそもそも考えたことでありました。後でいろいろと数字もお見せしますが、私が一九九九年七月に社長に就任したときには、売上規模が六百億円ぐらい、営業利益で三億円ぐらいの企業でありました。今この会社が、売上規模が一千五百億円になっております。そして、営業利益が約八十億円だったと思います。ですから、売上が約二倍半で、利益が二十数倍という企業に脱皮することができたのであります。そのときに使った手が、そこに書いてありますように、MBO(マネジメントバイアウト)という特殊な手法を使って、自分の会社にしてしまったということでございます。アウトラインは大体そういうことでございまして、その辺のお話を少しさせていただきたいと思います。
これを見ていただいて、おわかりいただけると思いますが、このバンテックという会社は、日産自動車の物流子会社として昭和二十九年に設立された会社であります。そして、その後、日産の子会社として、物流の側面で日産自動車を一生懸命サポートしてきた会社でございます。それで、私は一九九九年にその会社の社長になったわけでありますが、実は、二〇〇〇年にオーバーシーズエアカーゴという会社を合併させているのですが、一九九九年に私がバンテックという会社の社長になったときに、同時にオーバーシーズエアカーゴという会社の社長も兼任したわけであります。バンテックという会社は、海の物流と陸の物流をしておりました。オーバーシーズエアカーゴは、空の物流をしておりました。バンテックがオーバーシーズエアカーゴと合併すれば、陸・海・空の、言うならば三拍子そろった物流企業に替わるということで、これをまず合併させたわけであります。
その過程でも、ゴーンさんとは大げんかをしたのですが、ゴーンはこの合併を最初から認めなかったのですが、ゴーンがなぜ認めなかったかというと、合併などに力を注ぐよりも、そのままオーバーシーズエアカーゴをほかの会社に売ってしまえ。そのほうが簡単だ。おまえも無駄な時間を使わなくて済むという理屈でありまして、そこを何とかしてくれよと言って、合併させたわけであります。そして、その後に、MBOをして独立し、そして、いろいろな会社を買収していく上で、ホールディングカンパニーを創ったほうがいいということになりまして、二〇〇三年にホールディングカンパニーを創り、現在そこの社長をしているわけであります。その後、またいろいろ買収をしておりますが、ここに書きましたように、東急エアカーゴという会社も買収して、今現在は、買収が終わったのが全部で七、八社だったと思いますが、今もまたやっておりますが、そんな経歴を持った会社でございます。
これは資本金が、昔は二十三億円でありましたが、今はホールディングスという形で、資本金は非常に小さくなっております。従業員は、約二千人の企業が今現在五千四百人。これは昨年の三月時点の数字でありますから、売上高は、先ほど申し上げた数字より少し小さいわけでありますが、また、営業利益も小さいのでありますが、今は千五百億円ぐらい、営業利益で七十五億から八十億円の間に入っていると思います。そんな企業に変身しました。
売上でありますが、これを見ていただいておわかりいただけると思います。国内の物流と海外の物流とが今は半々ぐらいになっております。昔は国内が大半でありました。そして、日産自動車のウェートも、二〇〇〇年の頭では半分以上が日産自動車の仕事をしておりましたが、今は三分の一ぐらいが日産自動車の仕事でございます。
皆様方はご存じないから少しご説明しますが、親子会社というのは、親会社、これは日産自動車のことであります。これが日産自動車であります。そして、これが私どものバンテックという会社であります。この親子の関係は、仕事をやる。売上もある程度保証してあげる。しかし、その経営内容については報告していらっしゃい。問題があれば指導します。理屈の上ではこうなるのですが、指導などはほとんどありません。勝手にやれと。更に問題なのは、親会社で要らなくなった人材はどんどん子会社へやる。だから、くずばかりいるわけであります。なおかつ、利益が必要以上に出ると、利益は返してくれということになるわけであります。これは日本のどこの親子会社でも同じであります。このようなのが親子関係を築いているわけであります。
ですから、私が社長で行ったときに、企業風土に対して感じたことは、親会社に対しては極めて従順でありまして、もっと別の言葉でいえば、親会社も含めて官僚的組織であります。したがって、子会社は言われたことをやるというわけでありましたから、責任の所在が不明確。また、親会社も、その当時業績が非常に悪かったわけでありまして、親子ともども自信喪失症である。その結果として、従業員のモラルは非常に低い。ですから、何事においても誰かがやってくれるだろう、改革は誰かがやってくれるだろう、自分には関係ない、このような意識が蔓延しておりました。そんなことから、コスト意識が非常にない。また資源の配分も必ずしもベストでない。要らないところにいろいろな金を使っている。このようなのがその状態でございました。
そして、私がそういうのを見て、今までの社長は経営方針があったのかと聞きますと、はっきりしたものはございませんと言われたわけであります。それでは、一般的な言葉だけれども、ここに書きましたようなことで、従業員に徹底しなくてはいかんなということで、一番のポイントは、お客様に満足される会社にならなければいけないのだということを主張したわけでございます。
また、従業員が非常に自信喪失で、あまり活発に動いていない。誰かが何かやってくれるだろうという意識ですから、私が主張したことは、大変沢山課題はあるけれども、その課題一つ一つに必ず答えがあるのだということをみんなにわかってもらいます。そして、何もしければ、ぬるま湯に漬かって死んでいくだけだということを理解してもらうこと。また、痛みを先送りするな。やれることはどんどんやれと。そして、金の使い方についても、将来に投資してくれと、このようなことを主張いたしました。
これは何かというと、結局、先ほどの表題には、「MBOによるサバイバルプラン」と書いてありますが、実態は、従業員及び役員、社長の意識が変わらなければ、企業の再生などはできないのだということが一番の大きな課題だろうと思います。ですから、あのサバイバルプラン、「MBOによる」という表題がありますが、裏に隠れているのは、そこの従業員や、役員や、中で働く人たちの意識改革をいかにやるかということが一番大きな課題でございました。
そのためにどうしたかと申しますと、あの当時で二千人の企業でございましたから、その中に課長以上が百五十人おりました。とにかく百五十人については、全員一対一で対話をしました。また、物流会社ですから、倉庫で仕事をする人、トラックを運転する人、フォークリフトを運転する人、ありとあらゆる層のリーダー格とは、一人残らず対話をしました。それで、先ほど来申し上げているような意識改革をさせなければいかんと思っていたわけであります。
私の意識は、社員の意識が変わってくれば、それが一番大きな改革の力だと思っていたわけであります。そして私自身は、社長としてVSP(バンテック・サバイバルプラン)を社内外にどんどん言ってしまいました。何を言ったかというと、「方向性を明示すること」と書いてありますが、簡単にいうと、要するに、日産自動車に従属した会社ではなくて、独立して独り歩きできる企業にしようを主として主張し、具体的に利益もこのような形にしたいという数字を明示しました。そのために従業員にお願いしたいのは、皆さんが自分の力を発揮してくれれば、生き残りに貢献するチャンスはあるはずだし、ぜひ皆さんのそれぞれの力を発揮してほしいということを言うとともに、私と一緒に改革ができない人は、もうこのバンテック・サバイバルプランという船から降りてほしいのだと。言うなれば辞めてくれということであります。上のほうの人でも随分辞めました。しかし、それは私が辞めろと言ったわけではなくて、実質的に付いていけないと言った人が大半でありまして、それだったらお引き取りいただきたいと。
企業によっては、調子が悪くなってくると、早期退職奨励金を出す会社がよくあります。こんなものを出したらばかばかしいのです。出さないでいかにリタイヤさせるかを考えればいいのであって、私は、早期退職金は一銭も使わなかった。だけれども、要らない人はさっさと辞めていただいた。そういうことができると私自身は思っていたものですから、結果はうまくいったなということを今は感じています。
また、いろいろなマネジメントをしていく上では、自分の考えていることを主張するとともに、それを説明責任もありますが、その説明責任を果たす上で、できるだけ透明に、みんなにしゃべってしまう。自分の考えていることを全部言う。そして、すべての従業員あるいは役員に、それぞれの処遇は公平だということが理解されるような話をする。これが一番大事なことだろうと思います。そして、メリハリをつけて悪平等を排除し、そして、社長の方針をしっかりと理解させていく。トップダウンで経営をするということであります。それが、言葉は悪いかもしれませんが、中央集権であります。そして、私が事細かにああでもない、こうでもないと言うよりも、方向だけ示して、あとは皆さん方それぞれの持ち場で、自分のやるべきことを具体的に言ってください。それで、それぞれの方の目標はどうされるのかをはっきり言ってください。それは全部任せます。権限委譲であります。
親子関係が非常に複雑な会社では、とにかくみんな社長が指示するという会社があります。全く逆であります。方向だけ示してあとは任せる、こうやったほうが、下の人たちはよほど動きやすいはずであります。こんなことをしてまいりまして、具体的にどんな変革をしたかと申しますと、今最後に触れましたが、会社も、部門も、個人も、それぞれ自分のこの六カ月間なら六カ月間、一年間なら一年間の目標を自分で立てて、それを明確にし、スピーディーに実行する、これをしてもらったわけであります。
特に、そこの「目標」と書いてあるものは、自分の数値目標を示してもらいました。例えば一番わかりやすいのは、売上は幾ら、利益幾ら、企業としての最終的な目標値は私がコミットして、もしそれができなければ、私が辞めるという理屈であります。それをどんどん下のほうへ下ろしていきますと、課長クラスになると、自分はどういう仕事をして、幾らもうけると言ってもらった人もいます。
また、管理部門の人は目標が立てにくいのです。ですからそのときには、こういう仕事をいつまでにやる。これが一つの目標であります。普通の会社へいきますと、「人事部門の目標は難しいですね」とよく言われるのだけれども、私は易しいですよ。労務費を幾らにするということをはっきり言ってくれればいいのだ。人数を言ってくれる方法もあるし、究極は、労務費を幾らにするかということを言ってくれればいい。このようなことを各部門で、それぞれの部門と、それぞれの部長なり、課長なりの目標値を作ってもらいました。当然、部長は課長の集積値になります。そういうやり方で、目標を数字で示してもらった。
それがそれぞれの人はコミットメントになりますから、それができなかったら、当然その地位を去ることになります。できれば余計にお金をもらうことになる、ボーナスをはずむことであります。こんなことで、それまでのこの会社は年功序列でございました。ですから、長いこと勤めれば必ず給料は上がる、ポストは得るという会社だったわけでありますが、駄目と。仕事でコミットメントが達成できれば、給料も増えるし、上へ上がる。できなければ降格だし、給料も下がる。一番下がった人が、部長から課長になった人がいますが、年収で三百万円ぐらい下がったのですかね。そのくらいのことは平気でやりましたが、それはある意味、象徴的な事例でしたが、万人が、そうだろうなというような人でありました。そのように年功序列から成果主義に替えました。そして、ストックオプションによるインセンティブも付けました。
この五番目が、皆さん方にはおわかりいただけないかもしれません。CFTというのですが、クロス・ファンクショナル・チーム、いろいろの企業で課題があると、その問題を抱えている部門の人が、ああしよう、こうしようという解決策を研究するケースが多いのです。それは全く駄目なのですね。その問題を抱えている部門以外の人で答えを出すのです。そうしなかったら、いい答えが出るわけがないのです。今、我々の中でも、公務員の数を減らすので、各省庁に幾ら減らすかなどといって投げたら、みんな減らしたくないものだから、そういう数字は出ませんということになってしまうのです。全然違う人に、このくらい減るだろうといって出させて、減るための手段はこれだということを無関係の人に出させると、しっかりとした案ができるのです。そんなことをいろいろやりまして、特にクロス・ファンクショナル・チームで考えるときは、一つの課題について三カ月時間を与えて、そして、時間外でやってくれと申しました。もちろん部課長ですから、時間外でやってもらって、それはお金を払わなくても労働基準法に違反しませんから、大丈夫であります。
その他、あと、内部のいろいろな意味のチェック機能も働かせようということで、コンプライアンス委員会とか、リスクマネジメント、例えば火事になったり、地震が起きたりしたときに、お客様から預かっている荷物をどう管理するかということがリスクマネジメントであります。そんなことをしつつ、企業の再生をしてきたわけであります。
会社自体は、先ほど来申し上げているように、企業価値重視の経営をしてまいりました。あまり正しく記憶していませんが、私が会社へ入ったとき、社長としてアサインされたときのこの会社の企業価値は九十億円ぐらいでした。今、多分七百億円ぐらいだと思います。企業価値ですよ、売上などは全然関係ありませんが、それは企業価値重視の経営をして、それだけ企業価値を上げているということであります。そしてその中で、ストックオプションの問題、あるいはキャッシュフロー経営、連結重視の経営、あるいは時価会計とか、減損会計とか、グローバルスタンダードにマッチさせたマネジメントをしてまいりました。
特に、コーポレートガバナンス、ホリエモンの会社は、コーポレートガバナンスが全くできていませんが、コーポレートガバナンスを充実し、経営と執行の分離、そして、私の会社は委員会制をとっているのですが、更には監査役までを付けていますが、欧米の新しいマネジメントをいろいろやってみようではないかということで、指名委員会とか報酬委員会も設置し、誰を執行役員にするか、誰を取締役にするかということは、その指名委員会で決めております。普通の会社だと、社長が、あいつはいいやつだなということで、取締役にしてみたりするわけでありますが、そういうことが一切ないように。
また、我々執行役員なり取締役の給料は、報酬委員会で議論する。私も報酬委員会のメンバーでありますが、四人いるのですが、例えば私の給料を決めるときには、私の発言権は全くないわけであります。そういう委員会制をとっておりまして、また、社外取締役も積極的に採用いたしました。また、取締役の任期は、普通は二年ぐらいですが、私どもは、この人を役員にして大丈夫かなと思いつつ役員にするケースもありますから、間違えたときにはすぐ直せるように、取締役の任期は一年にしてしまうとか、そのくらい乱暴なことをしてきたわけであります。
そうした中で、いろいろ解決してきた問題がありますが、今現在は、ホールディングカンパニーの下に大きな会社が二つありまして、その二つの下に子会社群が四十社ぐらいございます。この四十社全体、大きいほうも含めて、もちろん、最初に私が会社へ行ったときは、そんな数はありませんでした。大きな会社が一つと、小さな子会社が十三ぐらいだったと思いますが、その子会社ですら、毎月毎月利益が出ていない。親会社ですら利益が出ていない月がありました。私がみんなにしっかりと言ったのは、どの会社も、どの子会社も、毎月黒字にしてくれ。これが私からの一番のリクエストでありました。今現在は、全社トータルでは黒字でありますが、たしか二つか三つの会社が一年間に二カ月ぐらい赤字があります。そのくらいに少し改善されたわけであります。
また、六十歳定年制、今でも世の中はそういうことをしておられる会社が多いのですが、皆さん方も、もうこれだけ長寿になった社会で、六十歳はまだまだ働ける年だとお感じになっていると思います。これを制度化しようではないかということで、最初のうちは、六十歳になる一年半ぐらい前に一人ずつ面接して、「あなたは一年半後に定年を迎えるけれども、更にこの会社で働くか?」ということをチェックして、働く気があるなら再雇用しようということで、定年を今は、希望によっては六十五歳までいけるようになっています。更に、七十歳になる時期が近くにあるのではないかと思っております。
先ほど来申し上げているとおり、いろいろな会社を企業買収しております。そんなに大きな会社を買収しているわけではございませんが、七つ八つの会社を買収しております。そして、最近皆さん方の常識の中でもおわかりいただいていると思いますが、なるべくいろいろな資産をオフバランス化して、その金を積極的に、戦略的に投資に使うことをしておられると思います。そういうことも積極的に進め、そして、私が社長になってしばらくしてから、V二四〇計画を作りまして、V二四〇というのは、ヴィクトリー・ツーフォーティーと言うのですが、売上二倍、営業利益四倍、有利子負債ゼロ、これは二〇〇四年に一度終結しておりますが、これは一応クリアいたしました。そして、企業年金制度の改革等もしてまいりまして、的確退職年金は四〇一K、厚生年金基金は解散して、お国に返しました。
更に、先ほどストックオプションということを申し上げたのですが、自社の株式に対する意識を従業員にもっと持ってもらおうということで、従業員持株会なども充実した形にアレンジし直しました。こんなことで、外部にもいろいろと情報発信を積極的にして、バンテック・サバイバルプランはうまくいったのかなと思っております。なぜうまくいったかといえば、私自身が断固たる決意をしたこと。また落下傘社長でありますから、タブーはありません。また、いろいろな従業員との対話をしっかりとやれたということ。また、従業員のほうから見れば、土俵際の会社だったということで、うまくいったのだろうと思います。
その過程で、MBOという手法を使って会社を独立させました。先ほど最初にも申し上げたのですが、ゴーン社長が日本にやってきて、陣頭指揮で日産リバイバルプランをやりました。私のサバイバルプランの三ヵ月後にこれが発表されています。日産自動車は、コストを下げて利益を増やしたいがために、私どもの子会社に対して、私どもが仕事をした対価を三〇%下げてくれと言われたわけです。ここに書いてある「コスト削減による利益の増大」というのは日産側の話であります。ところが、これは我が社にしてみると、三〇%も下げる、利益を増やすというその前提は、私どもが仕事をするときの対価を三〇%下げてくれというわけであります。百円でやっている仕事を七十円にするということです。それを言ってきて、彼らは、自分たちはぬくぬくと育つという理屈になっております。なおかつ、日産自動車の余剰資産、その中には子会社の株なども入っているわけでありますが、それを売却して有利子負債を削減するのだということでありまして、私どもの会社の株がよそに売られてしまう。先ほど来申し上げたとおり、例えば日本通運に売られたら、我々の生きる場所がなくなってくるわけであります。当然、日本通運の人が社長に来るし、日本通運の優秀な人が部長に来るし、我々バンテックで昔から働いている人たちは排除されるわけですから、何とかしてこのピンチを救わなくてはならぬと思ったわけであります。
それで、私も銀行だとか、証券会社、ファンド、学者、いろいろな人に相談しました。何かうまい方法はないか。私が今考えていることは、この企業が創立以来約五十年の歴史を抱えているわけでありますが、この歴史を閉じることなく、従来の経営方針を持続しながら経営していきたい。なぜならば、役員と従業員の生活の安定をしなくてはならぬ。また一方では、親会社からの影響を受けないスピーディーな意思決定と安定経営がしたい。そして、日産自動車からもある意味独立して、当社固有の技術を売り込みながら、自動車業界でナンバーワンの物流企業になりたい。なおかつ、日産から独立すれば、日産以外のお客さんも沢山私どもに注文いただけるのではないか。こんなときにどういう方法で独立すればいいのか。日産に株を売られないようにしつつ、我々としても独立して経営していきたいと思って、いろいろな方に先ほど来の相談をして、結論がMBOということになったわけであります。
しかし、独立すると、逆に今まで親会社からいろいろな仕事をもらっていたわけですから、親会社に見放されて仕事がなくなってしまうとか、あるいは親会社の後ろ盾で得ていた仕事もあります。そういう仕事がなくなってしまう可能性もある。また、銀行だって、親会社のネームバリューで金利も安かったわけであります。実際上〇・八ぐらいの金利でありましたが、独立したら、それが三%半くらいになりそうだということも頭をよぎったわけでありますが、そんなことは、独立してから我々がしっかりとした経営をすれば大丈夫だろうという、かなり乱暴な考え方で独立を志向していったわけであります。
マネジメント・バイアウトというのはどういうことかと申しますと、経営者あるいは経営陣が、投資家とパートナーシップを組みながら、事業の経営権を取得することであります。もう少し絵で見ていただければわかると思いますが、例えば、この会社が九十億円ぐらいの会社だったと思います。その九十億円と、いわゆるランニングに使う金、オぺレーションコストで六十億円ぐらい日ごろ使っております。そうすると、両方で百五十億円。その百五十億円をどうにかして用意するわけであります。経営陣も一部、投資家も、ファンドも一部、それで金融機関からも借りる。これで百五十億円を用意して、買収目的会社を先に作っておいて、そこへお金を全部ためて、たまったお金を持って、日産という親会社に「売ってください」ということを言って、株式を譲ってもらう。それで、譲ってもらったら、この買収目的会社と前の会社を合併して、またバンテックという会社が生き残る、こういう理屈であります。これがマネジメント・バイアウトという手法でございます。
これが実際上出来上がったのは二〇〇一年の一月だったと思いますが、スリーアイという企業、これはイギリスのファンド会社でありまして、インベスターズ・イン・インダストリーという会社であります。そこからお金を出してもらいまして、日産から独立を果たしたわけであります。独立を果たして、そのスリーアイというファンド会社から言われたことは、私が今までやってきていた考え方と大きく違っていなかったわけでありますが、企業価値の向上をぜひやってほしい。企業価値重視の経営をしてほしい。また、二〇〇四年の秋に上場してほしい。また、コーポレートガバナンスを重視した経営をしてほしい。これがファンド会社から付いた条件でありました。
ところが、二〇〇四年秋に上場しようと思って準備を進めたのですが、先方のスリーアイという会社の経営があまり芳しくなくなりまして、ほかに譲りたいという話が出てきまして、スリーアイというファンドが持っている株式を、もう一度MBOをやって、みずほキャピタルマネジメントに売却いたしました。それで、今はみずほが私どもの大株主になっています。実際に売却したのが二〇〇三年にスリーアイからみずほに替わりまして、そのときに、最初に申し上げた、九十億円で日産から買ってきたのです。その段階で、もう既にスリーアイという会社は、みずほに二百四十億円で売ったのです。ですから、スリーアイはたったの二年間で百五十億円手にしているわけであります。私どものやってきたマネジメントが、それだけ企業価値を押し上げて、スリーアイに利益を享受したということであります。今また私どもは、六百億から七百億円ぐらいの企業価値があると思いますと申し上げたわけですが、今売ればそういう値段ですから、みずほもまた何百億円か手にすることができるということであります。
このような形で資本面の入替えもスムーズにできて、結果として、今は非常に体質の強いマネジメント力のしっかりした会社に変身することができました。大筋そういうことでありますが、私どもが今考えているのは、3回目のMBOをするか、あるいは東京証券市場に上場するか、まだ悩んでいるところでありますが、できるだけ早くその結論を出して、必要に応じて資本家を満足させていきたいと、このようなことを考えているわけでございます。
別に大した数字ではないかもしれませんが、私がこの会社へ入ったときがこれであります。これは六ヵ月の数字が二つ書いてありまして、一年間では約六百億円の売上でした。今は七百億円を少し切るぐらいですが、これはまた下期がぼーんと膨らみますので、約一千五百億円ぐらいの企業になっているということであります。利益は、このときが両方でたしか五億円ぐらいだったと思います。私が来る前が三億円であります。来てから、五億円から始まって、今現在は約七十五億か八十億円ぐらいの営業利益が出る会社に変身しているということであります。
与えられた時間が確かこんなものだったと思うのですが、アウトラインだけ申し上げたので、またご質問があればしていただければと思います。いずれにしましても、一番初めにお話ししたとおり、従業員の意識を変えることが一番大事であって、変え切れたからこそこのようにうまくいったと思っております。そこの意識が変わらなかったらうまくいかなかったろうし、意識を変える中で、資本の入替えもスムーズにできた。ですから私は、私と一緒に金を出してくれた人たちに大変感謝しているのですが、私がMBOでしようと言って、役員連中に話を持っていったときに、みんなきょとんとして聞いているのですが、もし余裕のお金があるなら、お金を出してくれ。みんなで会社を買おうではないかと言って、ところが、あなた方一人で金を出す出さないを決め手はいかん。家へ帰って奥さんと子供たちとよく相談してくれと言いましたら、皆さん結構激論をしてきたのだろうと思います。特に担保が必要で、銀行から金を借りるというやり方もあるから、そういうやり方でもいいよと言ったのですが、当時、一番初めに金を出して人は、役員で六人だったと思いますが、六人が六人とも快く受けてくれました。「女房からどう言われた?」と言ったら、「株券が紙切れにならないように頑張ってね」と言われた人がいました。それが本当に気持ちだろうと思います。
もう一つ驚いたのは、子会社の分際ですから、みんなそんなに蓄えはないだろうと私は想像していたものですから、銀行に全部渡りを付けて、要するに、おれがちゃんと担保を提供するから、彼らに金を貸してやってくれと言っておいたのですが、それぞれの人はみんなキャッシュで持ってきてくれたのです。みんなすごく気合いが入って、お金も出してくれて、そういうことには感激した次第でありますが、今は彼らが出してくれた額が、そのまま処分すれば、それこそ六倍から十倍ぐらいになるわけでありますから、紙切れにならないように、今一生懸命仕事をしてくれているというのが今の実態であります。
このようなことで、少しセンチメンタルなところもお話しさせていただいて、皆さん方にご理解を得られれば大変幸せでございます。以上でとりあえずのお話を終わらせていただきたいと思います。(拍手)
司会 ありがとうございました。ここで質疑に移らせていただきます。ご来場の皆様で、奥野先生にご質問、ご意見などがございましたら、お手を挙げてお知らせください。
奥野講師 先週、インドから経営者が三十人ぐらい来まして、そこで同じようなプレゼンテーションを英語でしたのですが、インド人というのはものすごいですね。次から次に「はい、はい」言われて、質問の答えをするのに一時間掛かったですよ。インド人は、このくらいしっかりした人が多いのかな、あるいは頭が悪いのかなという気もするのですが、皆さん方も、別に質問しないからこういうことを言っているわけではないのですよ。わかっていただけたら大変幸せでございます。
質問 今、非常に貴重なお話を聞かせていただいたのですが、今お話の中で、従業員とおっしゃったのですが、労働組合があったのかなかったのかですね。組合はどういうことだったのか。十五、六年前ですか、行かれたのが。
奥野講師 いやいや、一九九九年ですから、今から考えると七年前。
質問 七年前ですか。でありますと平成十一年ですね、そのころどうだったか。それが一つです。労働組合のほうはどうなさったのかということですね。
もう一つは、私のあれでは、品質とコストが必ず裏腹に付いてくるわけですね。品質を求められるとすれば、どうしてもコストがする。そこのところが難しいところではないかと思うのですね。どのように乗り切っていくのかということ、その二つをお聞きしたかったのですけど。
奥野講師 後のほうから先にお答えしますが、品質とコストは確かに裏腹なのですが、私が行ったときの状況は、コストにお構いなし、効率にお構いなしの仕事の仕方をしていたのです。なおかつ、仕事の質は非常にいいのです。だけれども無駄が多いのです。無駄の排除をする中で、コストを掛けないで品質を維持することができた。これが一番のポイントです。わかりやすく言いますよ。
例えば輸送をするとしましょう。トラックに半分しか荷物を積まないで走るのと、一〇〇%積んで走るのと、どれだけコストが違うかといったら倍違いますよね。その積む量を増やすことによってコストを下げて、品質はそのまま維持ができた。こんなことであります。要するに、効率を重んじないで仕事をしていた、こういう会社だったように思います。ですから、そこへ効率をもう少し考えてやりなさいよということを言って、コストを下げることができた、品質は変えないで済んだということではなかったかと私は思っております。
トラックのことを申しますと、よく巷で運輸業界の平均積載率が四五%とか四七%とかというのです。私の会社は九〇%を超えています。だけれども、元はその四〇数%だったわけであります。そういったところで少し効率を考えるような要素を現場に展開すれば、コストを下げることができたということであります。
また、労働組合でありますが、これは少しオーバーに申しますが、自動車業界の組合は御用組合なのです。日産自動車はさることながら、トヨタも同じでありますが、昔から民主党……
(テープ1反転)
……これをしなかったら、君らの将来はないではないか。何とか協力してくれという話をすることによって、付いてきてくれましたね。ですから、普通に皆さん方が心配される労働組合とは少し違っていたものですから、協力を得ることができたということであります。
司会 ほかにございませんでしょうか。
熊代 私のほうから一つ。投資会社のファンドについて……
奥野講師 確かにファンド会社といえども、百億円金を出せと言ったら、大きい金ですから、「ふん」と言って、そう簡単には乗ってくれないのです。ただ、彼らが一番判断基準、拠り所にする要素は二つあります。一つは、社長が考える事業計画であります。先行き五年ぐらいの事業計画を彼らは見ます。それで、実現の可能性を判断します。実現の可能性を判断するときに、次に見る要素が社長といったら私ですが、社長の力を見ます。この二つの要素で金を出すか出さないかは決まります。
私も、ファンド会社に金を出してくれと言ったときに、どうかわからぬけれども、とにかくこのくらいやればいいだろうというつもりで出した計画が、先ほど五億円という話を申し上げました。一九九九年に五億円の営業利益だったのですが、二〇〇〇年から毎年十億、二十億、三十億、四十億とずうっと営業利益で十億円ずつ足していったのです。そのくらいやれば何とかなるだろうと思って出したのですが、それが受けたようであります。これを本当に実現できるかできないかは、僕はできると言わざるを得ないのですが、向こうはこちらの本質を見抜くわけですね。そういうやりとりをする中で出してくれたということでありまして、先ほど見ていただいたとおり、十億、二十億、三十億、四十億以上もうかっていますから、全然問題ありませんでした。
司会 ありがとうございました。ほかにございませんでしょうか。それでは、奥野先生のご講演をこのあたりで終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
奥野先生、そのまま正面のほうでお願いいたします。ここで本日の講師をお務めいただきました奥野先生に熊代百合子夫人より花束を贈呈させていただきます。
(花束贈呈・拍手)
司会 ありがとうございました。奥野先生は、ご公務のためご退席されますので、盛大な拍手でお送りください。(拍手)ありがとうございました。
次に、「NPO・保健福祉施策の動向とMBO」と題しまして、熊代昭彦より報告をさせていただきますよろしくお願いいたします。
■報告:「NPO・保健福祉施策の動向とMBO」
前衆議院議員 熊代昭彦
(拍手) 改めまして、今日は本当にありがとうございました。足下の悪い中、そしてまた、私自身現在浪人中でもございますが、こうして皆様がお集まりいただきましたことを心から感謝申し上げる次第でございます。いろいろございましたが、へこたれず頑張る。必ず復活して、必ずしっかりとした政治家として再出発し、そして確立したいという意気込みで頑張っておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。(拍手)ありがとうございました。
奥野先生にすばらしいご講演をいただきました。非常にクリアカットな、非常に適切な言葉遣いで、短い時間でございましたので、なかなか難しいプレゼンテーションでございますが、パワーポイントを使っての見事なご講演をいただきまして、お帰りになりましたが、心から感謝を申し上げる次第でございます。
私のほうは、パワーポイントではなくて、資料がやたらに付いていまして、誠に恐縮でございますが、中から資料を出していただきたいと思います。
「NPO・保健福祉施策の動向とMBO」という分厚い、レジメにしては七枚ぐらいでございますが、資料がいろいろ付いてございます。また、別様で、認定NPO法人関係とか、公益法人改革の資料などが付いてございます。時間も限りがございますので、あらゆることをやっておりますと、一時間や二時間では済みませんので、資料にそれぞれ書きたいことを沢山書いてございますので、簡潔に終わらせていただきます。
改めまして、これまでいただきましたご支援、幾ら感謝を申し上げても申し上げ切れない思いでございます。今日もまた雨をついて、こうしてご参集いただきましたことを、本当に心から感謝を申し上げる次第でございます。
近況報告としましては、ご承知のように、衆議院選挙は、刺客に岡山市長が出てきた。親友でもございましたし、私自身いろいろ考えるところがございまして、ご存じの方もいらっしゃいますが、かつて『私が総理になったら』という本を書きまして、そんな本を書くからいけないのだと怒られた面もございますが、政治家というのは、特に国会議員は、自分が総理になったら何をするかというのを、それぞれ一人一人すべて考えて、世に問うべきだというのが私の考え方でございまして、そういうものを書いておりました。
たまたまあのときは、小泉総理大臣に対する対抗馬が出ないということでありましたから、これでは今後三年どういう政治をするのかということを、テレビを通して国民の前にお話をすることができないのではないかという危機意識で、一応手を挙げさせていただきました。「それでは、私が立候補するよ」と言いました。そうすると、多くの人がすぐに立候補していただいて、当初から予測されたことでございますが、私自身は立候補できませんでしたが、マラソンでいえば、首尾よくラビットの働きをしたかという感じでございました。いずれにしましても、そういう政策の中で、市長としてやりたいこともいろいろあるということで、そちらにチャレンジいたしましたが、日経ビジネスあたりで二度刺客に刺されたとか、あるいはビートたけしの「テレビタックル」で、一番気の毒な男だとかということで取り上げていただきましたが、私の考えるところ、二度目は、小泉さんに刺されたのではなくて、岡山県内の経済界のボスが経済界で根回しをして、自分の側近を市長にしようとした。しかし、知名度もないので、勝つためには自民党を取り込まなければいけない、取り込めば勝てるということで、そのことで少々規則違反ではありましたが、本来ならば双方に自民党内の県議、市議の支持者がありますので、ドローで自主投票になるのですが、それを規則を犯して自民党推薦を出した。そのことによって市民党本部を取り込むことができたということで、ああいう選挙になったので、二度目は小泉さんに刺されたのではないと思っておりますが、いずれにしましても市長選も負けまして、現在浪人をしておりますが、浪人もなかなかいいなあということです。自分の時間を非常に思い切りよく使えるということでございます。しかし、しっかりとした計画で、将来に向けて歩みをしなければいけないと考えているところでございます。
砂防会館本館、ここはシェーンバッハサボウで新館でございますが、隣の本館の三階に小さな事務所を出しまして、政治活動を続けております。岡山が一月のうち二十日ぐらい、東京は一月のうち十日ぐらい、正確なことではございませんが、二対一ぐらいの割合でやっているわけでございます。
郵政民営化については、私は、民営化自体は大賛成でありますが、僻地の郵便局がなくなってしまうと困るのではないか。それならば、三事業一体の株式会社、特殊会社にすればそういうことはない。一兆二千億円も利益を上げているということで、それをあくまでも粘ったわけでありますので、レジメに書いてございますが、青票を投ずれば除名になる確率も高いということもございますから、昭和十五年二月二日に斉藤隆夫衆議院議員が反軍演説をしました。その前に縮軍演説をしまして、反軍演説をしたことがございまして、いわく、大東亜共栄圏の確立、いわく、東洋平和の確立といって、こんなに戦線を拡大して、我々政治家は後世の人間に申し開きが立つのだろうかという演説をしたわけです。今考えれば、時代を見通した本当にすばらしい演説でありましたが、何と衆議院は彼を除名処分にしてしまった。そういう時代でありました。
しかし、その後に翼賛選挙があったのですが、兵庫県で立候補しましたが、兵庫の選挙区の人たちは、彼をトップ当選させたと言うのです。それで、選挙民の目は節穴ではないということがございます。そういうことも念頭に置きながら、青票を投じたわけでございます。しかし、冷静に考えれば、それほど明白なことではなかった。三事業一体の株式会社なのか、アメリカの言いなりではありますが、しかし、純粋な株式会社の郵便貯金銀行、郵貯、生保株式会社、二つが純粋な株式会社で、あとの二つは特殊会社ですが、その純粋な株式会社を二つにして、四つに分けるかどうかということは、それほど明確な争点にはならなかったということでございますので、ああいう結果になりました。斉藤隆夫のように、衆議院でもう一遍戦う。無所属で戦うということにはならない。しかし、幸か不幸か、そのことが自民党候補と戦わなかったということで、処分としては、離党勧告ではなくて、戒告処分、一番軽い処分になりました。村井仁先生が戒告処分、能勢和子議員も戒告処分、三人が戒告処分でございました。ですから今、一自民党員でありまして、自由民主党に属しております。
この間も「前議員の会」に行ってまいりました。ちょうどバッジを付けていますが、これが前議員バッジでありまして、この砂防会館に野中広務先生もおられるのですが、行きましたら、「ああ、君はそのバッジを付けているのか。おれはこの色が嫌いで、絶対付けないんだ」とか言われていました。それは冗談でございますが、前議員のバッジを付けていると、東京にいるときは、議員会館にも自由に入れますし、図書館も利用できるしということで、付けております。
それで、「前議員の会」に行きましたら、武部幹事長が来られました。そのとき初めて自民党本部に入ったので、ごあいさつをしました。「ご無沙汰しております」と。「おお、熊ちゃん、熊ちゃん」とか言っておられましたが、青票を投じたときは無派閥であったのですね。そのときに、無派閥議員を勧誘するのは幹事長の役割だとかいうことで、電話をくださって、「熊ちゃん、賛成してくれよ」とかいう話でした。非常に難しい問題なので、最後の最後の瞬間に判断しますと答えたのですが、最後の瞬間に反対の青票を投じましたので、そういうことも思い出して、「熊ちゃん、熊ちゃん」という話だったのかもしれません。
あと、安倍晋三官房長官は、私の同期でございますので、電話を二度もくれまして、ぜひ賛成してくれという話でした。これは直前に、悪いけれども、信念に従って反対票を投じると携帯電話を掛けましたら、「ええ!」とか言って絶句しておりましたが、そういう経緯もございました。
いずれにしましても、これからどうするかというのは、市長選も一つの視野には入れていますが、これは何といっても四年後ですから、四年後というと、私自身が六十九歳になりますから、なかなか難しいと思います。それで、国政への復帰も念頭に置きまして、来年の七月には必ず参議院の選挙がございます。参議院の岡山地方区は片山虎之助幹事長でありますから、しかも私は自民党員としてやっておりますので、それは可能性がありませんので、参議院の全国区ですね、正式名称は比例区でありますが、昔の全国区と同じで、名前を書いていただけば、沢山名前の票を上げた人間から上位で当選する。しかし、例えば三十人の自民党の候補の名前と、自民党という票も有効でありますから、その両方を合算して、例えば二十人という当選者を決める。その二十人は、前は党本部の幹部が順番を決めていたのですが、それをやめて、上位の得票を得た人から当選していくということです。そういう意味では自由でありまして、最初のときが今の人たちで、五年前でありましたが、これは十万五千票で当選しています。二度目が今から二年前でありますが、これが十五万票で当選した。そのときは十五人しか当選しませんで、民主党のほうが票が多かったという時です。今度が三度目でございます。恐らく二十万票ぐらい取れれば当選確実だろうと思います。
桜井新先生が新潟で衆議院で負けて、参議院選挙に出ました。そのとき桜井先生は二十万票取られた。そのうち十二万票を新潟県で取った。あとの八万票を全国でということでございました。たまたま藤井基之参議院議員、厚生省、大学、高校の後輩になりますが、ちょうど選挙なのです。ただ、調べてみましたら、藤井基之議員は、薬剤師会、薬業界を主たるバックとして出ておりますので、岡山では六千票ぐらいしか取られませんでした。そういうことですから、そんなに迷惑を掛けないなということで、それも一つの大きな選択肢として頑張ってまいろうと思っているところでございます。それが決まりますと、また大変お世話になりますが、どうかよろしくお願い申し上げたいと思います。
また、「刺客を送られた男の小泉純一郎論」という妙な表題がございますが、これを今執筆中でございます。増田俊男氏という、「力の意志」という雑誌を出しておられる方で、よく本を書かれて、新聞に広告を出しておられる方ですが、一回が二千四百字という短いものですが、頼まれて書いております。
刺客を送られた男だから、さんざん小泉さんの悪口を言うかといって、そういうわけではありませんで、やはり「改革」ということは大切なことだろうということであります。今の現状を抜けていかなければならない。私も「革命的改革議連」とかいうのを作っておりまして、有権者の皆さん、市民の皆さんと対話をしながら、自民党の改革を進めていこうということでございますので、レジメに書いてございますが、歴史を垂直軸に、世界を水平軸にとって、地球儀を考えていただければいいのですが、そういうことで小泉さん、あるいは小泉改革をする、あるいはどういう人であるのか、私が直接接した小泉さんの姿から、小泉純一郎の本質に迫りたいということで、書かせていただいております。間もなく出ると思いますが、あまり目に触れない雑誌でありますから、雑誌社の許しがあれば、ホームページにでも掲載するかなと思っています。
小泉純一郎総理大臣が最初に閣僚になった厚生労働省、前は厚生省でありましたが、そのときに何と私は人事課長でありまして、人事課長というのは秘書課長でもありますから、非常によく存じ上げているわけです。当時の飯島政務秘書官、今の政権の中枢を担っております、総理大臣主席秘書官ですね、そういうこともございますので、客観的なものをできれば書きたい。しかし、直接自分が経験したものから書いてまいりたいと思います。
その中で紹介しておりますが、文藝春秋で読まれた方もいらっしゃると思いますが、歴史上このような格闘技選挙と言われるような選挙は、一九一八年、第一次世界大戦が終わりに近いころのイギリスでありました。ロイド・ジョージがやりまして、前の党首とか、元総理であったアスキスとかいう人、自分に反対する人には全部公認を与えないで、自分に味方する人に公認詔書、当時クーポンと言われたらしい、配給制度がありましたので、配給券という意味でクーポンとやゆされたのです。クーポン選挙というのがありました。しかし、その対抗馬に出た人が、みんな仇敵であるとか、話題性のある人ばかりでありまして、今回と少し似ているのですが、それで見事に勝った。このように格闘技のような選挙は、必ず仕掛けた人が勝つのだという、選挙の結果が出る前に、中西氏という京大教授がそのように書いておられました。そういう意味では慧眼だったと思います。
私自身は、自民党の内輪もめで解散したら、選挙は負けるのではないか。だから、小泉さんは解散しないのではないかと思っていたのが、大変イギリスの歴史を知らないことでありまして、小泉さんはイギリスに留学しておられましたから、一年ですが、また、歴史に非常に興味を持っておられるのです。国会答弁などでよく、佐藤一斉とか、幕末の徳川幕府の漢学者でありますが、そういう人を引いておられるということですから、知っておられたのではないかということを切り口に、いろいろと書いてございます。
こういうことを申し上げていると、この分厚いものが全くお話ししないで終わってしまいますので、先にまいりますが、復活を目指すということで、「何を目的に政治活動をするか」ということであります。いろいろと書いてございますので、もしできますれば、後ほど読んでいただきたいと思います。「夢のある、生き甲斐のある社会を創りたい」ということであります。
「若者に夢を。高齢者に社会貢献(仕事、資産の活用=出資、ボランティア)を!義務教育に夢教育を導入。悠々自適は七十五歳からでも遅くはない。」いろいろ書いてございます。「老人の定義は七十五歳以上に。」老人福祉法は六十五歳以上の定義になっておりますので。「年齢は個人情報」である。「無神経に公表しない社会」、「大いに働く決意」を私自身も持っておりますし、そういうことでなければ、団塊の世代が六十歳を超えてくる社会が成り立たないだろうと思います。年齢は個人情報で、無神経に公表しない社会を作らなければいけないのではないか。これは特に政治の場でもそうであります。
「NPO(狭義と広義)」。狭義のNPOは、私が法案の素案を書いたものでございますが、広義というのは、財団法人、社団法人もNPOであります。要するに、非営利のものはみんなNPOでありますが、その活動の促進。「株式会社を庶民の手に」戻す。制度を悪用する人は、ホリエモンのようにどこにもいます。あれがあるから株式会社はよくないとか、あれがあるから株式投資はよくないというわけではありません。「真面目さ、正直さ、合法的」。合法的であれば何でもいいのかという議論がありますが、合法的というのは大切なことです。それで、「オネストマネーの思想」を持って対処する。これに加えて、どんなに正直であって、どんなにいい人間であっても、知識と経験がなくて、とんでもないことをすることもありますので、知識と経験を加えて、夢のある、生き甲斐のある社会を作ってまいりたいと思います。
「未来に向けて躍動する日本、世界の平和と安定に貢献する日本を創りたい」ということで、実現したい政策は無数にありまして、幾らでも申し上げられるわけであります。
これも月並みな話ですが、科学技術創造立国、その次が製造業立国と書いてあります。これもご承知のとおりでございますが、製造業の日本の強さが中国をはるかにしのぎ、アメリカをはるかにしのいでいるだろう。ヨーロッパのかなりの国をしのいでいるだろうと思います。昨日、「ものづくり法案」が閣議決定されまして、経済産業省のかざすあれで、ものづくりの基盤整備の高度化を推進するのだということをしておりますが、我が国の生命の源泉でありますから、これをやっていかなければいけない。
しかしまた、その割りには技術者の月給は安いのですよね。これは面白いことだと思います。先ほどMBOの話などもありましたが、私の次男は技術者ですが、技術者は、ものすごい苦労をする割りには月給は悪いし、待遇も悪いな。しかし、ものづくりの基盤といいますか、ものづくりの技術と精神は日本にしっかり生きていると思います。これは何とか処遇もよくしながら、やっていけるようなことはないのかなという思いがございます。
このようなことをいろいろ書いてございまして、「生活の安全の再構築、犯罪者にとって世界一安全な国日本の構造改革」をしなければいけない。犯罪者にとって安全ではなくて、我々国民にとって安全な国でなければいけない。そんな思いでございます。
今日お話し申し上げることは、いろいろございますが、「NPO対策と経済の動き、医療介護保険、年金改革、年金・健康保険福祉施設整理機構の動きとMBO・MBI等を今日お話ししたい」と言っていますが、これだけ沢山ありますと三日ぐらい掛かりますので、ごくかいつまんでお話し申し上げたいと思います。
「平成十八年度税制改正大綱の概要(認定NPO法人)」と書いてございますが、これは後ほど読んでいただくことにいたしまして、NPO法を七年前に議員提案で出しまして、成立させました。これは誰もが世のため人のために働きたい。そのための拠点が非常に簡単に作れたらいいなと。というのは非営利法人を簡単に作れたらいいなという思いでできているわけでありますが、それを実現したのがこの法律でございます。
ねらいはそういうことでありますが、もう一つ、アメリカに負けない、大らかな寄附文化を持った日本をぜひ作りたいという思いで、税の優遇措置などを進めてきたわけでございます。今年は少し進歩してまいりました。その結果が書いてございます。
これは私が現役で頑張った、一昨年の暮れに要求したことと同じ要求を出しておりますが、昨年よりも少し多くのことが実現したと思っております。これは後ほど読んでいただくことにいたしまして、この非営利法人法一般法ができるという話、これも法人法についてご興味のある方がどれくらいいらっしゃるかわかりませんが、申し上げさせていただきますと、民法法人は公益法人でありまして、日本の法律体系の中でないのが、公益でもない、営利法人でもないものであったのですが、これは中間法人法ということで作ったわけです。
それでNPO法と、中間法人法と、民法法人の公益法人法の三つを集大成して、一つの非営利法人法を作ろうという議論があったのですが、私自身は、それはおかしいと。NPO法というのは、公益法人法の特殊法人でありまして、民法のNPO法と、非営利で共益法人と言われている、自分たちの利益を実現するという法人、この二つが、営利法人を除けば根本法であるから、この二つを合併して、一つの非営利法人法にしてくださいと。それで、私どもが作ったNPO法は、その非営利法人のほうの出来がよければ、それに発展的解消するということを申し上げました。そういうことで今進んでおりまして、そういう改革が進んでおりますから、公益法人改革と言われているのです。
とりあえずNPO法はそのまま残ります。それは宗教法人法であるとか、社会福祉法人法であるとかといった法律がそのまま残るのと同じです。しかし、限りなく新しい公益法人法に近いから、本当によければ発展的解消をして合体します。その出来上がりを見ようと斜に構えておりました。しかし、パブリックコメントに付された公益法人法ができました。この一月二十日にパブリックコメントの期限も終わりまして、これから法案の作成に入ります。
既にもうご承知のことと思いますが、準則主義で、法律の要件にのっとって登記所に持っていけば登記してくれる。登記すれば非営利法人は成立する。こういうものになるわけです。しかし、これは公益法人ではなくて、非営利法人になります。非営利法人と営利法人を分ける一番のメルクマールは何かというと、営利法人は利益の配当ができる。非営利法人は利益の配当をしてはいけない。株式配当とか、残った財産を分配して、各人に利益配当してはいけないということで、ぎりぎり詰めていけば、非営利の定義は配当しないことだということです。
その話を中小企業の会である人がしましたら、中小企業の方々が、それなら我々の会社も全部非営利法人だ。我々は一度も配当したことがないのだという話がございまして、確かにそういうこともございますが、配当を目的としているわけでありますから、非営利法人ではないわけですが、そういう笑い話もあるように、根本的なものは、配当するかしないか、利益を分配するかしないかというだけです。
それで、NPO法人は、寄附をした人が税の優遇措置を得るときに、パブリックサポートテストをしています。多くの公衆から支持されているか。多くの人から得た寄附金の全額が、総収入の五分の一以上あれば、これは多くの人から支持されている。だから、これは公益なのだと。事業の目的も公益だし、ということで、そのときには、寄附した人は寄附金控除を受けられるわけです。損金算入とか所得控除が受けられるということであります。
先ほどのパブリックサポートテストはアメリカ型であります。新しい法人法はイギリス型にしまして、イギリスのチャリティ委員会という、五名とか七名以下の委員を作りまして、とりあえずの非営利法人は、恐らく原則課税になると思います。株式会社と同じようなことで設立できるわけですから、原則課税になりまして、寄附金も、会費収入も、余れば利益として計上されて、課税対象になる。しかし、NPO法人は非営利法人ですが、寄附金や会費収入は原則非課税です。そういう意味では後退するのではないかということですが、その代わり、チャリティ委員会という民間の人たち、五人か七人ぐらいの委員会が国にもできますし、都道府県にもできる。そこでこれは公益法人なのだと認めてもらえば、税の優遇措置ができるということであります。
ですから、どちらの制度がいいのか。とりあえずNPO法人は斜に構えておりますから、その出来栄えを見て決めようということになっています。しかし、そのチャリティ委員会のような委員会で決める決め方を、平成十九年の暮れの与党税調で決める。それを見て、NPO法人の更なる税制上の優遇措置を決めようというのが現在の状況でございます。
会社法も昨年六月に改めまして、六十九年ぶりに大改正されたのはご承知のとおりでございます。営利法人法も新しい時代を迎えた。それで一円企業、一円でも株式会社ができるというものが恒久化されました。私がNPO法を作ったときに、一銭もお金がなくても、基本財産も、収入要件もゼロでいい。全部ボランティアならば、余計なことを言ってもらう必要はないだろうということで、全部ゼロにしたのです。それが株式会社にも定着してきた。これは我々がやったことが世の中を覆ったのだ、してやったりということで考えているところでございます。
あと、最後のほうにいきまして、今日のMBOの話を若干させていただきたいと思います。お配りした資料の5ページのところを見ていただきたいのですが、「社会保険庁改革の在り方」というものです。ついに社会保険庁の改革の絵姿がはっきり決まりまして、年金部門は年金事業機構になります。また健康保険部門は、全国健康保険協会、いずれも仮称でありますが、社会保険庁改革に先立ちまして、社会保険庁攻撃が非常に激しくされました。特に、福祉施設を全部今整理機構に拠出して、全部売り払うことになっておりますが、しかし一つ、問題を起こした人たちが厳正に処分されないといけないというのはそのとおりだと思いますが、テレビに取り上げられ始めると、何もかにも非常に悪いふうに言われてしまう。魔女狩り的な面があります。ですから、真面目にやっている人たちの真面目な仕事ぶりはきちっと評価してあげなければいけない、というのが私の思いでございます。
しかし、あれだけテレビでイメージが傷ついたならば、やはり社会保険庁という組織と名前は、一応消してしまったほうがいいだろう。それで、年金事業機構とか、全国健康保険協会とかいう新たな組織になるということも、一つの行き方ではないかと考えているところでございます。真面目にやってきた人たちが、これからも真面目に事業を展開して、イメージも再構築するし、仕事自身はもちろんのこと、しっかりとやっていくことが必要であると思います。
更に進んでいただきますと、資料の5ページの次に6がありまして、「年金・健康保険福祉施設(病院を除く)に係る整理合理化計画」というのがあります。これは目的が書いてありますが、更にめくっていただきますと、7ページに、三百十八の年金の福祉施設と、政府管掌健康保険福祉施設などがこの整理機構に拠出されている。これから五年以内に売られるということであります。
それで、旧労働省関係の施設は、職員の雇用を重視する。土地も持っていなかったので建物だけだったのです。ただ同然でもいいから、事業を続けてくれて、働きたい職員がちゃんと残れるというものに譲りましょうということになったのですが、それでは年金財政に被害を及ぼす。それは生ぬるい。処分するときには入札で一番高いものに売ろうということになりました。職員の雇用は二の次ですということになりました。それもやむを得ないだろうということで、私も一応了承はしておりますが、しかし、普通に売りますと、まず土地代が、例えば十億円ならば十億円、上に建物が建っていれば、これは倒さないといけないから五千万円ぐらい倒す費用が掛かる。九千五百万円ぐらいで買って、マンションを建ててペイするかどうか、こういう話になるのです。
我々はそのように考えないようにしよう。上の建物も、そこにいる職員も、仕事のノウハウも付加価値だから、十億円の上に一億か二億積んであげようではないか。それで、十二億円で入札するのだと。最高値ではないか。年金財政には大いに貢献する。しかし、MBO、先ほどのマネジメント・バイ・アウトです。やる気のマネージャーが何人か残って「やりますよ」と。それで、投資会社の出資を得て、あるいは投資会社でなくても、出資してくれる人を得て独立しようと。そういうことができれば最高値で売るということ、年金財政に損害を与えない。もっともっと多く返すことと、職員の雇用、そして、清潔な施設であって、安い価格で、家族で楽しんでも、そんなに費用が掛からないで本当に楽しめる。そういうビジネスモデルを壊さない。しかし、出資してくれた人に少なくとも五%配当ぐらいはするのだと、こういうものができればいいのではないか。それを研究しようではないかという視点で、今日、バンテックをMBOされた奥野信亮先生のお話をぜひ聞かせてほしいということでしたわけであります。
レジメに返っていただきますと、極めて単純素朴なことが書いてございますが、レジメの一番おしまい、1ページの一つ前のページですが、「社会保険庁改革」と書いてあるところでありますが、「最高値で売却。土地代+付加価値の最高値で落札。MBO、MBI、MBIというのは、マネジメント・バイ・インというのです。中のマネージャーだけではやれない。もう少し民間的な手法の人を、あるいは物の考え方の人も入ってもらおうというと、マネジメントが買って入ってくる。ですから、金も出すけれども、経営陣の一角にも入ってくる。MBOとMBIを組み合わせてやったらどうだ。株式会社設立。清潔な家族で楽しめる安い施設のブランドイメージを保ちつつ、純粋民間で、税の支払い、減価償却費の積み立て後に購入価格=資本金の一割以上の純益を上げる。」購入価格というのは、資本金で買おうということですから、無借金経営でいこうというわけですが、十億円で買うなら、十億円の出資金を集めて、無借金で買おう。その代わり、一割の利益を上げて、五%配当ぐらいはする。これは金を借りたほうは、今のように低金利だとものすごく楽です。うまくいけば二%とかということで借りられるということでありますが、しかし、返さないといけませんので、全部株式出資してもらう。このバンテックの場合は、一部分借金していますが、大部分が出資です。こういうことのほうが危険は少ない。ただし、イクイティファイナンスというのは、ものすごく高くつくのです。しかし、それは出資してくれた人にご恩返しするのだという意味で配当する。
こういうこととともに、そうは言っても、こんな安い金利のときには、MBOローンというのがあるのだと。担保だけを取って、経営陣にはそれ以上責任を問わない。ノンリコースローンがある。それを組み合わせようと。それもいいと思いますが、いずれにしましても、そういうことで考えたらどうだろうと、関係者のいろいろお話を聞いています。
この機構のトップの水島氏が、三井住友から来られて、やはり購入価格の一割の純益を上げられるならば、ローンを出そう。買って、経営してください。そうすると、職員にも喜ばれるし、安い清潔な施設のビジネスモデルも壊れない。そういうことで大いに推奨してくださっています。全額株式を出資してあげようというほどにはゼネラスではないですが、これはそこにずっと資本が寝ることになりますので、なかなか難しい面もあると思いますが、それは恐らく別のところでそういう人を見付けていかなければいけないと思います。いずれにしましても、真面目に働いてきた人たちが、真面目に仕事を続けられる。退職金をもらって辞める人たちも多いと思います。しかし、やろうではないか、このビジネスモデルが我々は好きなのだ、経営していこう、株主にもなって経営陣として残ろう、あるいは職員として残ろうという人にチャンスを与えることを、多くの人たちが考えてくださっていますし、私自身もそういう方々と一緒に考えていきたいと思います。
いろいろな制約はありますが、五%配当してくれるなら出したくなりますね。それは出資者にとっても悪くはないですね。悪くはないけれども、例えば百万円あるいは五十万円、三十万円の出資を沢山集めることになりますと、いろいろ制約もありますが、それも今後検討していきたいと思っているところでございます。
それが最後のところでありますが、もう一つ、医療保険と介護保険の改革が今法律案になって、あるいは法律案になる寸前で進められておりますが、診療報酬の改定も大枠が決まっている。この資料にあるとおりでございます。これまで最高の削減率であるということで、この資料の8ページのところに、三・一六でありますが、三・二の改定率でされております。
その中で一、二申し上げたいのは、一つは、病院の中に、介護療養病床というのがあります。介護保険の施設です。また、療養病床という健康保険の施設があります。これを今回本格的に機能分化していこうということを考えたのです。それで、厚労省としては、ものすごい意欲を持ってそれを替えるということでありまして、病院だから、医療は必要ない。ただ、帰る家がないからとにかくいるという人は、全部この施設に行ってもらおう。特別養護老人ホームとか、ケアハウスとか、有料老人ホーム。自宅に帰れる人は、それが一番いいですが、そういうことにしてもらおう。病院に残る人たちは、それを療養病床という名前で呼ぶか呼ばないかはともかくとして、療養病床という名前でもいいのですが、とにかく医療の必要性がはっきりしているという人たちだけにしてもらおう。それで、五年ぐらいの経過期間を掛けて、介護療養病床的なものは一切なくそうということになっております。
ある病院の経営者にお電話しましたら、「どうですか」と言ったら、「いやあ、えらいことですなあ」とか言って、「私のところはそういうのが多いから、二、三割収入が減ります。 もう事業を縮小しなければいかんと思っています」と。それで、その厚労省の責任者に電話しまして、「こんなふうに考えている人がいるよ」とか言ったら、医療の必要な病院として残るのは、ちゃんと医師三人とか、きちっとした体制を作ることになっておりますが、これは資料を見ていただきますと、資料の9と書いてあるものですが、「医療の必要に応じた療養病床の再編成」。資料を見ていただきますと、経過的療養病床、そして、平成二十四年度から老健施設や優良老人ホーム、在宅になるものについては、医師が、従来は三人であったのが二人になる。それで、介護保険適用の場合は、看護、介護合わせて十二人は同じですが、看護師が八人に一人というのですから、病人八人に対して看護師一人ということですから、介護が必要な人四人に対して一人ということですから、八対一というのは、看護師の体制がぐっと減っているわけです。収入も確かに減るけれども、支出のほうも切ってある。これで両方で、利益と言っていいのかどうか別にして、利益という観点から見れば、ほぼとんとんになるはずだ。そんなに二割も三割も削減するとかという話にならないはずだと言っております。そのいずれが正しいのか、これから少し様子を見ていかないといけませんが、今これは大変な話題になっているところでございます。
そんなことを申し上げまして、また、冒頭に申し上げるのをはしょってここに飛んでまいりましたが、いろいろやりたいことのうちの一つに、議員提案の法律の成立がございます。私自身、およそ十本ぐらいの法律を議員提案として成立させました。先ほどのNPO法とか、管理栄養士を大臣免許に格上げにするものとか、臨床検査技師の仕事が非常に的確にできる体制を作るとか、浄化槽の改正、ビル管理法、身体障害者補助金法等々、いろいろとやってまいりました。銀行保有株規制法の改正までやりまして、これは八%拠出というのを削ったので、おかげで、当時一千億円ぐらいの評価損があったのですが、今三千億円、一千億円ぐらいの評価益になっています。これは我々のいただいている報酬の何十倍も、何百倍も稼いだろうなと言っていますが、そういう改正もしましたし、今後やるべきものとしては、例えば補聴器技能士とか、補聴器は、非常に優れたものも出ているのですが、本人と合わないと全然聞こえないというのか、うるさいと。こんなものは使えないということで、コミュニケーションができない。これを補聴器技能士のような制度を、今テクノエイドというところで民間でやっているのですが、民間の制度はなかなか信用してくれないので、これを本格的な法律にするとか、また、薬種商の方々の資格が店舗とくっついてしまって、資格制度が確立していない。こういうものもきちっとしたものにしなければいけないだろうということでありまして、申し上げたいことは、団体の利益になるからこれができるかというと、それはできないと思います。しかし、団体のご要求が、国民の福祉や国民の健康の増進に非常に適合していることが明らかにできれば、これは一気に賛成が広がってきます。そうなると必ず実現できると思っております。そういうことをいかに明らかにして、有権者の皆様の支持も得るし、議員の支持も得ていくことが、やるべきことだと思っているところでございます。
本当に沢山資料を作って、はしょってしまいましたが、最後に、「経済・保健福祉研究会」の経済というところを申し上げますと、レジメの終わりから三枚目ぐらいのところです。「経済の動向と三位一体改革」と書いてございます。これを申し上げて、終わりにさせていただきたいと思います。
景気の回復は本当だろうと言っています。これはたまたま今、新日鐵の社長をしています三村というのが私のクラスメートですが、たまたまそういうこともありますから、ときどき会っていますので意見を聞きますと、大企業の社長ですから、言うことが非常に客観的で、ある意味で非常に冷たいように聞こえるわけでありますが、大分前に、景気の回復は、大企業と、東京と、愛知県ぐらいしかないのではないか。全国に広がらない。世の中そういうものではないの。それは先行仕様で、そこがよくなれば、いずれ全国に広がるのだと言っておりました。この間会いに行ったら、「どうだ、おれの言ったとおりだろう。ちょっと北海道が悪いかもしれぬけれども、全国に広がりつつある。これは本物だと思う」と。それから日本が、上位二割ぐらいの技術、先ほど申し上げましたように、鉄鋼にしろ、あらゆる物づくりについて、上位二割ぐらいの技術は中国にも、アメリカにも、決して追い付かれない。その意味では安心していい。ただ、日本は人口が減っているし、中国はものすごい人口があるし、アメリカは人口が増えている。日本が著しく人口が減ることになると、非常に不安要因になるので、それはなかなか問題ではないだろうか、ということを言っておりました。日本を代表する大企業の社長の意見としては傾聴に値することで、聞いておかなければいけないと思うところでございます。
日本は軍事力も弱いし、物の考え方が非武装中立の憲法九条二項を削れない現在の状況でありますので、憲法改正案は自民党が今出しておりますが、これを実現していかなければならないし、それが実現できないにしても、集団的自衛権は、あるならば必ず使える。使えない自衛権などはないわけですから、その解釈をきちっと改める手順を踏んで、一人前の国になる必要があるだろう。
こう言って、不安に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本は、平和にものすごい既得権を持っているのです。平和でありさえすれば絶対栄えられるのです。ですから、今の日本が好んで戦争するなどというのは、よほど合理的な物の考え方ができない人でありまして、決して日本が戦争することはありません。しかし、一人前の国としての体制はとっておかなければいけないということはご理解いただけると思います。
株価の動向は、皆様のほうがよくご存じですが、楽観論と悲観論がありまして、有名なアナリストの北野さんは、そろそろ過熱気味だ、危ない。この一月から三月ぐらいまでの間にクラッシュがあるかもしれないと。ライブドアがありましたので、その先触れかと思いましたが、これは回復してきましたが、そのように言っています。楽観論を唱える人が圧倒的に多いのですが、一番の楽観論は、株価は二十五年周期で動いていまして、一九九〇年のバブル崩壊が一つのピークだとすると、もう二十五年、二〇一五年に向かって、こういうふうになりながら、ダウ二万五千円とか、そんなふうに向かっていくのだという、大筋で見た最楽観論があります。いずれにしても、そんな今の状況でございまして、景気の先行指標でありますから、景気自身が本格的によくなることと、株が上がることはずれるわけでありますので、先行指標がもうピークに達して、景気が本格的によくなる前に下がる……
(テープ1終わり)
……への復帰ということも重要なことではないかと思っておりまして、それも視野の中に入れて、頑張ってまいります。今後ともご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
司会 ここで質疑に移らせていただきます。ご意見、ご質問などがございましたら、お手を挙げてお知らせください。よろしいですか。
熊代 二時間にわたって大変お疲れのことと思いますので、ご質問もないと思いますが、申し上げませんでしたが、介護保険の世界では、小規模多機能施設がどういうものになるかというのが、今みんな大変注目の的でございます。小規模多機能施設の要件が資料の中に書いてございます。これは在宅なのだけれども、場合によっては普通の民家を改造したようなものでもいいわけですが、九人以下ぐらいの泊まりの機能も持っている。それで、登録しているのは二十五人ぐらいだと。普通は通いでやっているのですが、家庭の事情でそのスタッフのいるところに泊まらなければならない、あるいは身体の事情で止泊まらなければいけないときには、九人いないならば泊まっていい。しかも必要であれば、非常に長期間そこに滞在してもいいという、あらゆる制約をできるだけなくして、地域で在宅と言いながらも、在宅でやるのは本当はものすごく大変でありますから、その大変さを軽減して、非常に広義の在宅でやれるものを作ろうというのが、小規模多機能施設でございます。またの機会に介護保険の話、医療保険の話をもっと詳しく申し上げる機会もあると思いますが、とりあえず今日のところはそのように申し上げたいと思います。
それで、大変分厚い資料を作りましたので、分厚すぎて、ちょっとこれは準備し過ぎたかなという思いでございますが、おうちに帰られて、ぱらぱらとめくっていただければ大変ありがたいと思います。本日は誠にありがとうございました。(拍手)
司会 長時間にわたりご清聴ありがとうございました。お時間も参りましたので、このあたりで「経済・保健福祉研究会第五十六回セミナー」をお開きとさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)